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享保の改革とは?徳川吉宗が進めた幕府再建の内容と影響

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享保の改革きょうほうのかいかくとは、8代将軍徳川吉宗とくがわよしむねが進めた江戸幕府の改革です。幕府財政の立て直しを中心に、行政、人材登用、法制度、都市政策まで広く手を入れました。

吉宗よしむねは「幕府中興の祖」と呼ばれることもありますが、享保の改革きょうほうのかいかくは単純な成功物語ではありません。財政再建の成果があった一方で、農民への負担や貨幣経済への対応という課題も残しました。

目次

この記事でわかること

  • 享保の改革きょうほうのかいかくの基本
  • 徳川吉宗とくがわよしむねが将軍になった背景
  • 上米の制あげまいのせい定免法じょうめんほう・新田開発
  • 目安箱・小石川養生所こいしかわようじょうしょ
  • 足高の制たしだかのせい公事方御定書くじかたおさだめがき
  • 享保の改革きょうほうのかいかくの成果と限界

享保の改革きょうほうのかいかくとは

享保の改革きょうほうのかいかくは、1716年に8代将軍となった徳川吉宗とくがわよしむねが進めた幕政改革です。江戸幕府の財政は悪化しており、幕府は収入を増やし、支出を抑え、政治の仕組みを立て直す必要がありました。

改革の中心は、米を基盤とする幕府財政の再建です。しかし、吉宗よしむねは財政だけでなく、人材登用、法制度、庶民の訴え、江戸の防火対策にも取り組みました。

紀州藩きしゅうはんから来た将軍・徳川吉宗とくがわよしむね

徳川吉宗とくがわよしむねは、紀州徳川家きしゅうとくがわけの出身です。7代将軍徳川家継とくがわいえつぐが幼くして亡くなり、将軍家の直系が途絶えると、御三家ごさんけの一つである紀州家きしゅうけから吉宗よしむねが迎えられました。

吉宗よしむね紀州藩きしゅうはん主として藩政に関わった経験を持ち、将軍就任後は側用人政治を改め、老中など幕府の正式な役職を重視する政治へ戻していきました。

享保の改革きょうほうのかいかくの主な施策

享保の改革きょうほうのかいかくでは、多くの施策が行われました。目的ごとに整理すると、改革の全体像が見えやすくなります。

施策内容目的
倹約令幕府や武士の支出を抑える。財政支出を減らす。
上米の制あげまいのせい大名から米を上納させる代わりに参勤交代さんきんこうたいの江戸滞在を短くした。幕府の米収入を増やす。
新田開発耕地を増やし、年貢収入を増やす。幕府財政の基盤を広げる。
定免法じょうめんほう一定の年貢率で年貢を取る。幕府収入を安定させる。
足高の制たしだかのせい役職に就く人へ不足分の役料を補う。家格に縛られすぎず人材を登用する。
目安箱庶民の意見や訴えを受け付ける。政治の問題を広く把握する。
公事方御定書くじかたおさだめがき裁判や刑罰の基準を整える。法制度を整備する。

財政再建の改革

享保の改革きょうほうのかいかくの中心は、幕府財政の立て直しでした。幕府の収入は米に大きく依存していたため、年貢収入を安定させることが重要でした。

定免法じょうめんほうは、年貢率を一定にすることで幕府の収入を見通しやすくしました。一方で、不作の年でも一定の年貢を求められるため、農民にとっては負担が重くなることもありました。

上米の制あげまいのせいは、大名から米を上納させる制度です。その代わりに参勤交代さんきんこうたいで江戸に滞在する期間を短くしました。幕府の収入を増やす一方で、参勤交代さんきんこうたいの制度運用にも影響を与えました。

人材登用と法制度

吉宗よしむねは、足高の制たしだかのせいによって、役職に就く人の役料を補いました。これにより、家格や収入が十分でない人物でも、能力があれば役職に就きやすくなりました。

また、公事方御定書くじかたおさだめがきの整備によって、裁判や刑罰の基準がまとめられました。これは幕府の統治を法の面から安定させる取り組みでした。

庶民政策と江戸の町

享保の改革きょうほうのかいかくには、庶民の生活に関わる政策もありました。目安箱は、庶民の意見や訴えを幕府へ届ける仕組みです。

目安箱に寄せられた意見をきっかけに、小石川養生所こいしかわようじょうしょが設けられました。これは、貧しい人々を診療する医療施設です。

江戸の防火対策では、町奉行の大岡忠相おおおかただすけが町火消の制度整備に関わりました。町火消については、江戸の火消しと災害の記事で詳しく扱っています。

貨幣経済への対応

吉宗よしむねの時代には、米を中心にした幕府財政と、広がる貨幣経済とのずれが大きな問題になっていました。

元文金銀げんぶんきんぎんの発行は、貨幣量を増やし、経済の動きに対応しようとする政策でもありました。ただし、貨幣改鋳は物価や貨幣への信用にも影響します。詳しくは江戸時代の貨幣制度の記事と関わります。

享保の改革きょうほうのかいかくの成果と限界

成果限界
幕府財政の立て直しを進めた。農民への年貢負担が重くなる面があった。
目安箱や小石川養生所こいしかわようじょうしょなど、庶民政策も行った。社会全体の貧困や不安を解決したわけではない。
足高の制たしだかのせい公事方御定書くじかたおさだめがきで行政・法制度を整えた。米中心の財政と貨幣経済のずれは残った。
後の改革の基準となった。その後も田沼政治たぬませいじ寛政の改革かんせいのかいかく天保の改革てんぽうのかいかくが必要になった。

享保の改革きょうほうのかいかくは、後の田沼意次たぬまおきつぐの政治、寛政の改革かんせいのかいかく天保の改革てんぽうのかいかくと比べるうえでも重要です。

まとめ

享保の改革きょうほうのかいかくは、8代将軍徳川吉宗とくがわよしむねが進めた幕政改革です。倹約、上米の制あげまいのせい、新田開発、定免法じょうめんほう足高の制たしだかのせい、目安箱、公事方御定書くじかたおさだめがきなどを通じて、幕府財政と政治の立て直しを目指しました。

一方で、年貢負担の重さや、米中心の財政と貨幣経済のずれなど、解決しきれない課題も残りました。享保の改革きょうほうのかいかくは、吉宗よしむねの名君像だけでなく、成果と限界の両方から見ることが大切です。

参考資料

  • 国史大辞典「享保の改革きょうほうのかいかく」「徳川吉宗とくがわよしむね」「公事方御定書くじかたおさだめがき
  • 日本大百科全書「享保の改革きょうほうのかいかく」「上米の制あげまいのせい」「目安箱」
  • 『テーマ別だから政治も文化もつかめる江戸時代』

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