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明との国交開始(1401):対外関係が整い、交易が政治と財政を左右した(お金の流れが権力に直結する)

室町時代の外交は、ただの「海外とのやり取り」ではありません。
交易(お金の流れ)を握ることが、権力そのものになる――その転換点が、**明との国交開始(1401)**です。

この出来事で動き出したのは、品物の交換だけではありません。
幕府は、外交を通じて“稼ぐ仕組み”を作り、政治と財政の主導権を掴みにいきます。
つまり、「お金の流れが権力に直結する」時代のスイッチが入った瞬間でした。


目次

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3行でわかる「明との国交開始(1401)」

  • 1401年、幕府(足利義満)は明へ使節を送り、正式な通交(国交)と通商の道を開こうとした。
  • 明のルールに乗る形で、日明貿易が制度化へ向かう。
  • 交易の利益は「国の財布」になり、やがて政治の主導権の取り方にまで影響する。

なぜ1401年だった?国交が必要になった背景

1)海の治安問題(倭寇)が、外交を“避けられない課題”にした

当時、海上は安定しておらず、倭寇問題は東アジア全体の火種でした。
その“火種”を抑えるためにも、幕府は対外関係を整えていく必要がありました。

👉 倭寇とは?なぜ東アジアの海が荒れたのか(内部リンク/未作成なら作成候補)

2)幕府は「稼げる入口」を欲しがった

室町幕府は、現代の国家のように全国から税を集める仕組みが強いわけではありません。
だからこそ、**大きな利益が動く窓口(貿易)**は魅力でした。
交易の“許可”と“枠”を握れた側が、政治でも強くなる――これが室町のリアルです。


何が整った?明との関係は「対等な貿易」ではなかった

ここが重要です。
明との関係は、現代のような対等な条約貿易というより、明の秩序(朝貢・冊封の枠組み)に沿って動きます。

この枠組みの中で日本側が得たのは、
**「明が正式と認める、儲けられるルート」**でした。

👉 勘合貿易とは?“札”がないと商売ができなかった理由(内部リンク/未作成なら作成候補)


交易は何を動かした?「モノ」より「お金の流れ」が政治を変えた

明から入ったもの:銅銭・生糸など

銅銭は、国内の市場を回す血液のようなものです。
これが入る=市場が動く=人が動く。
つまり、通貨の流れを握ることが、支配に直結します。

日本から出したもの:硫黄・刀剣・扇など

日本側も輸出で利益を得ます。
ここでポイントなのは、貿易が「儀礼」だけでなく、現実にお金が動く仕組みだったことです。


交易が政治と財政を左右した理由

1)「独占できる窓口」は、そのまま権力になる

明との貿易は、誰でも好きにできるものではありません。
だからこそ、幕府が枠を握れば、利益配分で人を従わせることができます。

2)交易利益は、軍事や政務の“燃料”になる

軍を動かすにも、政務を回すにも、結局はお金が必要です。
継続的に大きな利益が入る仕組みは、そのまま政治の強さになります。


「日本国王」問題:儲かるけれど、国内では揉めやすい

義満が明の枠組みに乗ることは、対外的には「公式ルート」を確保する強みになります。
一方で国内的には、受け止めが複雑になりやすい。
その揺り戻しが、のちの将軍期に出てくることもあります。

👉 足利義持とは?外交・政権運営を引き締めた4代将軍


まとめ:1401年は「外交の開始」ではなく「稼ぎ方の開始」

明との国交開始(1401)は、外交イベントに見えて本質はこれです。

  • 明のルールに沿って、公式に儲けられる道が開いた
  • 銅銭などの流通=国内経済の血流を押さえられる
  • 交易利益が政治・財政の武器になり、幕府の統制力を左右するようになった

だからこそこの出来事は、
**「お金の流れが権力に直結する」**室町の転換点として重要です。


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