明治維新によって江戸幕府は終わりました。
しかし、それだけで日本が「一つの国」になったわけではありません。
各地には旧大名が治める藩が残り、政治も税も軍事もばらばらでした。
この分断された国の姿を終わらせ、日本のかたちを決めた改革が廃藩置県です。
廃藩置県とは|一文でわかる定義
廃藩置県とは、1871年に明治政府が全国の藩を廃止し、中央政府が直接統治する府・県に改めた国家制度改革です。
決断の前夜、日本はどんな状況だったのか
1870年代初めの日本は、表向きは新しい政府が誕生していました。
しかし実態は、藩ごとに政治や税の仕組みが異なる不安定な状態でした。
各藩は独自に税を集め、兵を持ち、政治を行っていました。
つまり日本は、「政府はあるが、国としてまとまりきれていない状態」だったのです。
なぜこの決断が必要だったのか
廃藩置県が行われた理由は、日本を近代国家として成立させるためでした。
政治面では、中央政府の命令が地方に届かず、藩の存在が統治の妨げとなっていました。
社会面では、藩ごとの制度が国民意識の形成を妨げていました。
国際的にも、欧米列強と対等に向き合うには、強い中央集権国家が不可欠でした。
決断はどのように下されたのか
1871年(明治4年)、明治政府は廃藩置県を断行します。
全国の藩主は東京に集められ、藩は廃止され、府と県に改められることが伝えられました。
この決断によって、日本の支配の仕組みは一気に変わりました。
制度として整理するとどうなるのか
ここで、廃藩置県を簡単に整理します。
起きた年
1871年(明治4年)
中心人物
大久保利通 ほか
具体的な内容
藩を廃止し、府・県を設置。中央政府による直接統治へ移行。
制度的な意味
日本が近代国家として機能し始めた決定的改革。
この決断で誰の立場が変わったのか
庶民は藩の民から国民へと変わり、制度の統一が進みました。
武士は仕え先を失い、生活の基盤を大きく揺るがされます。
社会全体としては、身分より制度が重視される社会へ向かいました。
この決断は、次に何を生んだのか
廃藩置県によって、政府は全国を直接動かす力を得ました。
その結果、地租改正や徴兵制、近代教育制度が実行可能になります。
まとめ
廃藩置県とは、日本が近代国家として成立した「決定的な日」でした。
今の日本の制度を理解するために、欠かせない転換点です。
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