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江戸時代の貨幣制度とは?金・銀・銭が使われた仕組みをわかりやすく解説

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江戸時代の貨幣制度とは、金貨・銀貨・銭貨という三種類の貨幣が並行して使われた「三貨制度」を中心とするしくみのことです。江戸幕府は、豊臣秀吉が築いた貨幣制度を基本的に受け継ぎつつ、独自に発展させていったとされています。

目次

この記事でわかること

  • 三貨制度のしくみと単位換算
  • 貨幣を支えた鉱山と金座・銀座
  • 貨幣改鋳とその影響
  • 藩札という地域通貨

三貨制度のしくみ

天下を統一した豊臣秀吉は、主要な金山・銀山を直轄化し、天正大判などの貨幣を発行・流通させていたとされ、江戸幕府はこの通貨制度を基本的に受け継いだと伝えられています。金座の初代当主には後藤光次が任じられ、金貨の鋳造を担ったとされています。江戸時代の貨幣は、金貨・銀貨・銭貨の三種類からなる「三貨制度」だったとされています。金貨は主に東日本で流通し、両・分・朱という単位が使われ、1両は二分金2枚、一分金4枚、二朱金8枚、一朱金16枚に相当したと伝えられています。銀貨は主に西日本で流通し、丁銀・豆板銀といった重さで価値が決まる秤量貨幣が使われ、のちに一分銀のような枚数で価値が決まる計数貨幣も登場したとされています。丁銀は不定形の棒状の銀塊で、額面の記載はなく、銀の含有量や重さによって価値が決まっていたとされ、大黒像や銀座の責任者であった常是の刻印が押されていたと伝えられています。銀貨についても、丁銀・豆板銀60匁が一分銀4枚、二朱銀8枚、一朱銀16枚に相当するという換算があったとされています。銭貨は全国で流通し、寛永通宝という1文銭が代表的で、銭4貫は4000文に相当したと伝えられています。当時の物価の目安として、そば1杯が16文、すし1貫が4〜8文ほどだったとも伝えられており、庶民の暮らしに身近な貨幣だったことがうかがえます。高額の取引には、銭に穴を通してまとめる「銭差」と呼ばれる道具が使われていたとされています。金貨は主に東日本、銀貨は主に西日本で流通しており、地域によって主に使われる貨幣が異なっていたことも、江戸時代の貨幣制度の特徴の一つとされています。これら三種類の貨幣の交換比率は固定されていなかったため、両替商による両替が必要だったとされています。

貨幣を支えた鉱山と金座・銀座

徳川家康は1600年頃に金座・銀座を設けて慶長金銀を大量に鋳造させたとされています。この貨幣制度を支えたのが、佐渡金山や生野銀山といった幕府が直轄化した鉱山(幕領)だったと伝えられています。しかし17世紀半ば以降、鉱山の採掘量は減少傾向をたどる一方、商業の発展にともなって貨幣需要は増大していったとされています。

貨幣改鋳とその影響

金銀不足への対応として、幕府はしばしば貨幣の改鋳(金銀の含有率を引き下げること)を行ったとされています。5代将軍綱吉に仕えた勘定奉行の荻原重秀による元禄小判の改鋳が特に知られており、この改鋳によって幕府は一時的に収入を得たものの、貨幣の信用低下を招いたとも伝えられています。小判の金含有率は、慶長小判の86%から元文小判の65.7%、安政小判の56.8%へと段階的に引き下げられていったと伝えられています。含有率が下がるほど金貨は白っぽい色味になったとされ、これは金貨が純金ではなく銀などとの合金で作られていたためと考えられています。1両の4分の1の価値を持つ一分金でも同様の変化がみられ、金含有率の高い慶長期・享保期のものは鮮やかな金色をしていたのに対し、含有率の低い文政期・安政期のものは白っぽくくすんだ色をしていたと伝えられています。改鋳によって生じる新旧貨幣の含有率の差分は、幕府の収入源になっていたとされています。改鋳は幕府にとって財源を確保する手段の一つだったとされる一方で、貨幣の質の低下がインフレを招いたとも伝えられており、どちらか一方の側面だけでなく、両方の影響を踏まえて理解することが大切だと言えそうです。

田沼意次が政治を主導した時代には、それまで丁銀などの秤量貨幣が主流だった銀貨を、計数貨幣に一本化する目的で「南鐐二朱銀」が発行されたとされています。銀含有率98%と質自体は高かったものの、同じ2朱の価値を持つ丁銀より銀の実際の量目が少なかったため、導入時には両替商をはじめとする商人から反発の声が上がったと伝えられています。

藩札という地域通貨

幕府が発行する通貨とは別に、諸藩は幕府の許可を得て、領内限定で通用する紙幣「藩札」を発行することがあったとされています。藩札は金銀と交換できる兌換紙幣で、藩内の貨幣不足を解消する目的があったと伝えられていますが、多くの藩では金銀の準備が乏しく、藩札の信用低下がかえって財政悪化を招くこともあったとされています(例:明和元年に広島藩が発行した藩札)。

まとめ

江戸時代の貨幣制度は、金貨・銀貨・銭貨からなる三貨制度を基本とし、佐渡金山・生野銀山などの鉱山や金座・銀座に支えられていたと考えられています。貨幣需要の増大や財政事情の変化にともなって改鋳が繰り返され、貨幣の質や価値も時代によって変化していったとされています。幕府発行の貨幣に加え、諸藩独自の藩札も流通するなど、江戸時代の経済は、金・銀・銭という複数の貨幣、さらには諸藩独自の藩札までもが組み合わさって成り立っていたと言えそうです。

参考資料

『テーマ別だから政治も文化もつかめる江戸時代』

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