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南北朝の動乱とは?|天皇が二つに分かれた時代をやさしく解説

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「南北朝時代」という言葉は知っていても、実際にどんな争いがどれくらい続いたのか、具体的に説明できる人は少ないかもしれません。

1336年、京都の北朝と吉野の南朝という、二つの朝廷が同時に存在する状態が生まれました。この記事では、南北朝の動乱がどのように始まり、どう続き、室町幕府にどんな影響を残したのかを、出来事の流れとして整理します。

南北朝という時代そのものの全体像(南朝・北朝の違いなど)は「南北朝時代とは?」で詳しく解説しているので、ここでは動乱がどう動いたかに焦点をあてます。

ひこまる

天皇が二人いたって、片方は偽物だったってこと?

やたまる

いや、そう単純ではないんじゃ。どちらも「自分こそ正しい」と主張していて、決定的な決着がつかなかったんじゃよ。

目次

結論:南北朝の動乱はどういうものだったのか

南北朝の動乱とは、後醍醐天皇と足利尊氏の対立をきっかけに、1336年から1392年まで約57年間続いた、二つの朝廷・二つの政治勢力による争いです。この動乱が長期化したことが、室町幕府の権力基盤を最初から不安定にし、その後の守護大名の台頭や応仁の乱にまでつながっていきます。

南北朝の動乱とは何か

南北朝の動乱とは、建武の新政の破綻から始まり、後醍醐天皇が吉野に逃れて南朝を立て、足利尊氏が京都に光明天皇を立てて北朝を成立させたことで生まれた、二つの朝廷が並び立つ争いの時代です。

単発の戦闘ではなく、数十年にわたる断続的な軍事衝突・政治的駆け引きの連続でした。1392年の南北朝合一によってようやく天皇は一人に戻りますが、この間に生まれた「権威の分裂」は、争いが終わった後も室町幕府に重い課題として残りました。

なぜ南北朝の動乱は起きたのか

建武の新政が武士の支持を失った

建武の新政で後醍醐天皇は天皇中心の政治を目指しましたが、武士への恩賞が不十分だったことなどから、武士たちの不満が広がりました。

足利尊氏と後醍醐天皇が決裂した

武士の支持を背景に台頭した足利尊氏は、最終的に後醍醐天皇と対立し、京都を制圧します。後醍醐天皇は京都を離れ、吉野へ逃れて独自の朝廷を立てました。

「正統性」と「実権」が分かれてしまった

後醍醐天皇の南朝は「正しい天皇はこちらだ」という正統性を掲げ、足利尊氏の北朝は実際に政治・軍事を動かす実権を握りました。この二つが一致しなかったことが、争いを長引かせる根本的な原因になりました。

ひこまる

正しいと主張するだけじゃ、争いは終わらないんだね。

やたまる

その通りじゃ。理念だけでも、力だけでも足りぬ。両方がかみ合わないと、物事はなかなか収まらんのじゃぞ。

誰が関わったのか

後醍醐天皇:南朝を立てた中心人物。「天皇中心の政治」という理想を最後まで掲げ続けました。

足利尊氏:北朝を支え、室町幕府を開いた人物。武士たちの支持を背景に新しい政権を立ち上げました。

足利直義:尊氏の弟。幕府の政務を担いましたが、後に観応の擾乱で尊氏と対立することになります。

楠木正成:後醍醐天皇に従い、南朝側で戦った武将です。

新田義貞・北畠顕家も南朝側の中心的な武将として知られていますが、両者の単独記事はまだ準備中のため、今回は名前の紹介のみとします。

どう進んだのか

経緯をミニフローで整理します。

  • 1334年:建武の新政が始まる
  • 1336年:足利尊氏が京都を制圧し、後醍醐天皇が吉野へ逃れる。京都に北朝(光明天皇)、吉野に南朝(後醍醐天皇)が成立する
  • 1336年11月:建武式目が制定され、室町幕府が事実上動き出す
  • 1338年:足利尊氏が征夷大将軍に就任する
  • 1339年:後醍醐天皇が崩御し、後村上天皇が南朝を継ぐ
  • 1350〜1352年:観応の擾乱(足利尊氏・直義兄弟の内輪もめ)が起こり、南朝がこれに介入して一時的に勢力を広げる
  • 1368年:足利義満が幕府の実権を握り始める
  • 1392年:南北朝合一。南朝の後亀山天皇が北朝の後小松天皇に皇位を譲り、分裂が終わる

結果どうなったのか

1392年の合一によって天皇は一人に戻りましたが、約57年間続いた分裂は、室町幕府にとって「最初から権威が万全ではなかった」という重い後遺症を残しました。将軍の正統性は常に問われ続け、武士たちは状況によって主君を変えることに慣れてしまいました。

室町時代全体への影響

南北朝の動乱が長引いたことで、武士たちは「中央の権威」よりも「自分の判断・実力」を重視する姿勢を強めていきました。この姿勢は、その後の守護大名の台頭、将軍権力の不安定化、そして応仁の乱へと続く室町時代の基本的な性格を形づくりました。南北朝の動乱を理解することは、なぜ室町時代がこれほど不安定だったのかを理解する出発点になります。

関連人物・関連出来事

  • 後醍醐天皇:南朝を立てた中心人物
  • 足利尊氏:北朝を支え、室町幕府を開いた人物
  • 足利直義:尊氏の弟。観応の擾乱で対立した
  • 建武の新政:動乱の発端となった後醍醐天皇の政治
  • 観応の擾乱:動乱の最中に起きた幕府内部の内輪もめ
  • 室町幕府の成立:動乱と並行して進んだ、室町幕府の立ち上げ

まとめ

南北朝の動乱は、後醍醐天皇と足利尊氏の対立をきっかけに、1336年から1392年まで約57年間続いた、二つの朝廷による争いです。「正統性」と「実権」が分かれたまま長期化したこの動乱は、室町幕府の権力基盤を最初から不安定にし、その後の時代の展開を方向づける重要な出来事でした。

現代への学び

「正しさ」を主張する側と、「実際に物事を動かす力」を持つ側が分かれてしまうと、組織や社会は長く混乱することがあります。南北朝の動乱は、理念と実権がかみ合わなかったときに何が起きるかを、60年近い時間をかけて示した出来事だと言えるかもしれません。

ひこまる

正しさと力、両方が大事ってことだね。

やたまる

そうじゃ。どちらかに偏ると、争いはなかなか終わらんものじゃぞ。

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参考資料・参考図書

  • 「南北朝時代」「建武の新政」「観応の擾乱」 – Wikipedia
  • 「南北朝時代」 – コトバンク(国史大辞典・日本大百科全書)
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