寺子屋と私塾とは、江戸時代に庶民の教育を支えた学びの場のことです。都市部では「寺子屋」、地域によっては「手習所」とも呼ばれ、読み書きやそろばん(算術)を中心に、実践的な内容を教えていたとされています。近代以前の日本の庶民の教育水準は、現代から見ても高かったとされており、こうした教育の場の広がりがその背景の一つだったと考えられています。教育の担い手としては、寺子屋・手習所のほかに、懐徳堂のような身分を問わない私塾や、武士の子弟を対象とする藩校もあり、それぞれ異なる役割を担っていたとされています。
この記事でわかること
- 手習所(寺子屋)とはどのような場だったか
- 手習所での学び方とカリキュラム
- 女性への教育の存在
- 懐徳堂のような身分を問わない学びの場
- 適塾・鳴滝塾などの私塾
- 手習所が急増した背景
庶民の教育を支えた手習所
手習所は、都市部では「寺子屋」とも呼ばれ、享保期(1716〜1736年)の江戸だけでも800カ所もの手習所があったとされています。教える先生は僧侶・医者・下級武士などさまざまで、中には行き場を失った牢人が先生を務めることもあったと伝えられています。教育熱や習熟度には地域によって差があったとされ、地域ごとに使われる教材にも違いがあったと考えられています。例えば、薬の産地として知られる地域では、薬学に関する往来物が使われていた記録も残っているとされています。
手習所での学び方とカリキュラム
手習所では、一斉授業ではなく、年齢や習熟度に応じた個別指導が基本だったとされています。子どもはおおむね7〜10歳頃に入門し、3〜4年ほどかけて読み書きと算術を学んだと伝えられています。学習は「往来物」と呼ばれる教科書を真似て書く書写が中心で、いろは→数字→漢字(単字)→漢字(熟語)→名寄(人名・官職・動物などのテーマ別単語集)→短句・単文→日常で使う文章という段階を踏んで進められたとされています。読み書き・算術のほかにも、手紙の書き方や年長者への礼儀、人との付き合い方(『実語教』)、農作業の方法といった実践的な内容も教えられたと伝えられています。
女性への教育と『女大学』
手習所には、女性に向けた教育を行う女性の先生もいたとされ、『女大学』という教科書が使われていたと伝えられています。教育の担い手や内容が男女で分かれていたことは、当時の社会における教育の広がり方の一端を示していると考えられます。
懐徳堂と身分を問わない学び
1724年(享保9年)に開設された懐徳堂は、武士から庶民まで身分を問わず学ぶことができた学校として広く知られています。
適塾・鳴滝塾などの私塾
また、緒方洪庵が開いた適塾や、シーボルトが開いた鳴滝塾のように、多くの人材を輩出した私塾も存在したとされています。こうした私塾は、蘭学のような専門的な学問を教える場としても機能しており、寺子屋・手習所とはやや異なる役割を担っていたと考えられます。
手習所の急増とその背景
手習所の設置数は、8代将軍・徳川吉宗が学問を重んじたことをきっかけに、江戸後期にかけて大きく増加していったとされています。年平均の設置数は、1745年に3.8カ所だったものが、1860年には306.6カ所にまで増えたという統計も示されています。渡辺崋山の作品「一掃百態」には、クラスや学年の概念がなく、さまざまな年齢の子どもがともに学ぶ手習所の様子が描かれていると伝えられています。手習所で培われた読み書きの力が、後の時代の教育の広がりにつながった背景の一つとして考えられますが、明治期の学制発布との直接的なつながりについては、本書からは直接断定できません。
寺子屋・私塾・藩校の違い
寺子屋(手習所)や懐徳堂のような私塾が、身分を問わず庶民も学べる場だったのに対し、藩校は上級藩士やその子弟を対象とする、身分が限定された教育機関だったとされています。全国的には藩校が247校、私塾が1321校にのぼったという記録もあり、武士の子どもは家庭教育や私塾での学びを経て、10歳前後で藩校に通い、さらに江戸の昌平坂学問所や京・大坂・長崎への遊学に進む例もあったと伝えられています。こうした点から、寺子屋・私塾は庶民教育の中心、藩校は武士教育の中心という役割の違いがあったと考えられます。
まとめ
寺子屋(手習所)は、僧侶・医者・下級武士などさまざまな先生によって、読み書き・そろばんを中心とした実践的な教育を行っていた学びの場だったと考えられています。往来物を用いた段階的な学習、女性への教育、懐徳堂のような身分を問わない学校、適塾・鳴滝塾のような私塾など、多様な学びの形が江戸時代を通じて広がっていったとされています。身分が限定された藩校とは異なり、寺子屋・私塾は庶民にも開かれた学びの場だったという点も、江戸時代の教育を理解するうえで重要な特徴と言えそうです。8代将軍・徳川吉宗の学問奨励を機に手習所は急増し、江戸後期の日本の教育水準を支える基盤になっていったと伝えられています。
参考資料
『テーマ別だから政治も文化もつかめる江戸時代』
伊藤賀一 監修/かみゆ歴史編集部 編
朝日新聞出版、2022年

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