江戸の出版文化とは、江戸時代に木版印刷を中心として発展した、本や読み物をめぐる文化のことです。本が庶民にとっても身近な娯楽となり、出版業が盛んになった当時の様子を、資料に基づいて紹介します。
この記事でわかること
- 江戸時代の本がどのように作られ、広まっていたか
- 蔦屋重三郎とはどのような人物だったか
- どのような出版ジャンルがあったか
木版印刷と貸本屋
江戸時代の出版物は、活字ではなく版木を彫って刷る木版印刷が中心だったとされています。京都で仏教が盛んだった影響もあり、一部で活字(伏見版・駿河版など)が用いられた例もありましたが、一般的ではなかったと考えられています。本には文字だけでなく、読みやすさを助けるための挿絵が多く用いられていたとされ、井原西鶴の『日本永代蔵』『好色一代男』などが出版物の例として挙げられています。また、高価な本を庶民が借りて読める「貸本屋」という仕組みも広まっており、高価な本を購入せずに読めるこの仕組みは、本を庶民にとって身近なものにする役割を果たしていたと考えられます。中には幕府批判につながる内容を扱って発禁処分を受けることもあったとされています。
蔦屋重三郎という版元
蔦屋重三郎(1750〜1797年)は、吉原で育ち、吉原のガイドブックである『吉原細見』の版元となった人物です。喜多川歌麿や東洲斎写楽といった若い絵師を見出して育てたことでも知られ、江戸一の版元と呼ばれるまでになったとされています。浮世絵の絵師を世に送り出す役割を担ったという点で、蔦屋重三郎は出版文化と浮世絵文化の両方をつなぐ存在だったと考えられます。なお、蔦屋重三郎については近年、大河ドラマなどを通じて広く知られるようになりましたが、本記事の内容は当時の史料に基づく人物伝であり、ドラマでの脚色とは区別して理解する必要があります。
出版ジャンルと発禁処分
江戸時代の出版物には多様なジャンルがあり、赤本・黒本・青本・黄表紙・合巻といった、表紙の色などで分類される「草双紙」と呼ばれる絵入りの読み物のほか、遊里を題材にした洒落本、恋愛や人情を描いた人情本、教訓を説く談義本、笑いを誘う滑稽本、長編の読み物である読本などが親しまれていたとされています。1727年から1810年代にかけての出版点数の推移では、江戸での出版点数が徐々に増加し、やがて京都・大坂を上回るようになっていったとされています。一方で、山東京伝の『仕懸文庫』は1791年に発禁処分を受け、その版元だった蔦屋重三郎は財産を半分没収されたと伝えられており、出版には幕府による統制が及んでいたこともうかがえます。
瓦版と識字率
「瓦版(読売)」と呼ばれる速報性の高い刷り物も出版文化の一つで、火事や地震、仇討ちなどのニュースを伝えていたとされ、1803年には「うつろ舟」と呼ばれる謎の漂着物を伝えた記録も残っているとされ、瓦版は「読売」とも呼ばれ、当時の庶民にとって身近な情報源だったと考えられています。寺子屋による教育が広く行き渡っていたこともあり、当時の江戸は識字率が高く、多くの庶民が本を読むことができたと考えられています。
まとめ
江戸の出版文化は、木版印刷と貸本屋のしくみ、蔦屋重三郎のような版元の活躍、多様な出版ジャンル、瓦版による速報性の高い情報伝達など、さまざまな要素によって支えられていたと考えられます。寺子屋教育による高い識字率とあいまって、本が庶民にとっても身近な娯楽となっていった様子がうかがえます。
参考資料
『テーマ別だから政治も文化もつかめる江戸時代』(第5章)

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