明治政府が、近代国家をつくろうとしたとき。
そこには、決定的に足りないものがありました。
西洋の知識と技術です。
その不足を埋めるため、政府は数多くの外国人専門家を、
高い給与で日本に招きました。
「お雇い外国人」と呼ばれる人たちです。
お雇い外国人とは何か
お雇い外国人とは、明治政府や民間企業が、
法律・産業・軍事・医学・教育・芸術など、さまざまな分野の技術指導のために雇用した外国人専門家のことです。
その数は、一説には約3000人にのぼったとされています。
各分野で活躍した主なお雇い外国人
お雇い外国人は、実にさまざまな分野で活躍しました。
- ロエスレル(法学・ドイツ):大日本帝国憲法・商法の制定に貢献
- ヴェルニー(産業・フランス):横須賀海軍工廠の建設
- パーマー(産業・イギリス):横浜水道の建設
- メッケル(軍事・ドイツ):陸軍軍制の近代化
- ベルツ(医学・ドイツ):東京医学校で教え、明治天皇の主治医も務めた
- モース(地理学・アメリカ):大森貝塚を発見
- ラフカディオ・ハーン(文学):東京帝国大学で教え、のちに小泉八雲として日本文学に貢献
法律から水道、軍制、医学、文学まで、日本の近代化は、こうした専門家たちの知識に支えられていました。
工部大学校とコンドル
建築の分野で大きな役割を果たしたのが、
工部大学校(現在の東京大学工学部の前身)で教えたイギリス人建築家、コンドル(ジョサイア・コンドル)です。
コンドルは、鹿鳴館の設計者としても知られていますが、
それ以上に大きな功績は、日本人の建築家を育てたことでした。
教え子たちが引き継いだ近代建築
コンドルのもとで学んだ日本人建築家は、
明治中期以降、日本を代表する建築を数多く手がけるようになります。
- 辰野金吾:日本銀行本店、東京駅を設計
- 片山東熊:東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)を設計。「日本近代建築の父」とも呼ばれる
外国人から学び、日本人が引き継いでいく。
この流れは、建築だけでなく、明治という時代の近代化そのものを象徴しています。
高額な給与という負担
お雇い外国人の給与は高額で、
政府にとって大きな財政負担となっていました。
だからこそ、明治中期以降は、外国人から知識と技術を吸収した留学経験者や教え子たちが、
国内で活躍するようになっていきます。
お雇い外国人という「外から学ぶ時代」から、
日本人自身の手で近代化を担う時代へ。
その転換点に、辰野金吾や片山東熊のような教え子たちがいました。
ひこまるとやたまるで理解するポイント
ひこまる外国人に任せ続けず、工部大学校をつくったのはなぜ?



技術を買うだけでは近代化を続けられぬからじゃ。日本人が学び、設計し、次の世代を教えられるようにする必要があったんじゃよ。



お雇い外国人の役割は、建物をつくることだけだったの?



教育や制度づくりにも大きく関わったぞ。知識を日本人へ渡し、自立につなげることが重要だったんじゃ。
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出典:大石学監修『一冊でわかる明治時代』河出書房新社、2024年、70〜71頁、258頁。


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