「国会を開く」
――それは、国会開設の勅諭で約束されました。
しかし、
議会を開くには、
その前に決めなければならないものがあります。
この国は、誰が、どのように統治するのか。
その答えとして制定されたのが、
大日本帝国憲法です。
大日本帝国憲法とは|日本初の近代憲法
大日本帝国憲法とは、
1889年(明治22年)に発布された、
日本で初めての近代的な憲法です。
この憲法によって日本は、
- 法律に基づいて国を運営する
- 統治のルールを文章で定める
という、
立憲国家への一歩を踏み出しました。
それは同時に、
「明治国家の完成形」を示す宣言
でもありました。
なぜ憲法が必要だったのか|国を「制度」で動かすために
明治政府は、
すでに多くの改革を行っていました。
- 廃藩置県
- 地租改正
- 徴兵制
- 学制発布
しかし、
それらをまとめる
最上位のルールは存在していませんでした。
政治を、人ではなく制度で動かす
この考えを実現するために、
憲法は不可欠だったのです。
どんな国家を目指したのか|「天皇を中心とする立憲国家」
大日本帝国憲法が示した国家像は、
次のようなものでした。
- 天皇を国家の中心に置く
- その上で、憲法によって政治を制限する
- 議会を設け、法律を制定する
つまり日本が目指したのは、
「天皇主権の立憲国家」
でした。
ここが、
現代の民主国家との大きな違いです。
天皇の位置づけ|なぜ強い権限を持っていたのか
大日本帝国憲法では、
天皇は次のように規定されました。
- 国家の元首
- 統治権の総攬者
- 軍の最高指揮官
これは、
「天皇がすべてを自由に決める」
という意味ではありません。
むしろ、
- 天皇を国家の象徴的中心に置くことで
- 政治の安定と正統性を保つ
という意図がありました。
誰がこの憲法を作ったのか
憲法制定の中心人物が、
**伊藤博文**です。
伊藤博文は、
- ヨーロッパ各国の憲法を研究
- 特にドイツ(プロイセン)憲法を参考
しながら、
日本に合う形を模索しました。
彼が目指したのは、
自由すぎず、
専制にもならない国家
でした。
史実で整理する|大日本帝国憲法の基本データ
ここで、史実として整理します。
発布年
- 1889年(明治22年)
発布者
- 明治天皇
施行年
- 1890年(明治23年)
国家体制
- 立憲君主制
- 天皇主権
関連制度
- 帝国議会の開設
- 内閣制度の整備
国民の権利はどう定められたのか
大日本帝国憲法には、
国民の権利も記されました。
- 言論の自由
- 集会の自由
- 信教の自由
ただし、それらは
法律の範囲内で保障される
とされており、
絶対的な権利ではありませんでした。
ここに、
憲法の限界も存在します。
なぜこの形が選ばれたのか|当時としての現実解
大日本帝国憲法は、
理想を追い求めた結果ではありません。
- 国内の安定
- 国際社会からの評価
- 列強との対等な関係
これらを同時に満たすための、
当時としての最善の選択
でした。
実際、
この憲法の制定によって日本は、
- 近代国家として国際的に認められ
- 条約改正への道を開く
ことに成功します。
自由民権運動との関係|声はどこまで届いたのか
自由民権運動が求めた
- 憲法
- 国会
は、
確かに実現しました。
しかし、
- 主権は天皇にある
- 国民の権利は制限付き
という点で、
すべてが民意どおりだったわけではありません。
それでも、
声が、制度になった
という事実は、
日本史において非常に重要です。
まとめ|大日本帝国憲法は「日本なりの近代国家像」だった
大日本帝国憲法は、
民主憲法ではありません。
しかしそれは、
- 専制国家でもなく
- 無秩序な自由国家でもない
日本なりの立憲国家像
でした。
この憲法によって日本は、
ようやく
「近代国家として、世界と向き合う準備」
を整えたのです。

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