明治維新後、日本は
国の仕組みを急速に作り替えていきました。
- 廃藩置県で、国を一つにまとめ
- 地租改正で、国を支える財源を確保し
- 徴兵制で、国を守る力を整えた
しかし、明治政府は気づいていました。
制度だけでは、国は動かない。
それを支える「人」が必要だ、と。
その答えとして打ち出されたのが、
**学制発布(がくせいはっぷ)**でした。
学制発布とは|全国共通の学校制度を作った宣言
学制発布とは、
1872年(明治5年)、
明治政府が公布した、日本初の近代的な学校制度です。
この学制によって、
- 全国に小学校を設置
- 身分に関係なく教育を受けさせる
- 国が教育制度を統一管理する
という方針が示されました。
これは、
「教育は個人のものではなく、国家の基盤である」
という考え方の表明でもありました。
なぜ学制発布が必要だったのか|近代国家に必要な人材
明治政府が目指したのは、
欧米列強と対等に並ぶ近代国家です。
そのためには、
- 法律を理解できる人
- 技術を学べる人
- 国家の仕組みを支える人
が、圧倒的に足りませんでした。
岩倉使節団が欧米で見たのは、
教育が国民全体に行き渡った社会でした。
国を強くするには、
まず人を育てなければならない。
この認識が、
学制発布へとつながります。
学制発布で何が変わったのか|「誰でも学ぶ」社会へ
学制発布は、
それまでの教育観を大きく変えました。
学制以前
- 教育は身分や家柄による
- 寺子屋や私塾が中心
- 義務ではなかった
学制以後
- 原則としてすべての子どもが就学
- 全国共通のカリキュラム
- 国が教育を管理
特に重要なのは、
「教育を受けることが当然」
という意識が広まった点です。
史実で整理する|学制発布の基本データ
ここで、史実として学制発布を整理します。
公布年
- 1872年(明治5年)
内容
- 全国を学区に分け、学校を設置
- 小学校・中学校・大学校の体系化
- 国による教育制度の統一
対象
- 原則として全国民(特に児童)
目的
- 近代国家を支える人材育成
- 国民意識の形成
特徴
- 日本初の全国共通教育制度
- 理念先行で現場とのズレも大きかった
学制発布を進めた人物たち
大久保利通
国家運営には人材育成が不可欠だと考え、
学制発布を強く後押ししました。
木戸孝允
教育による国民形成を重視し、
近代教育思想を制度に反映させました。
人々の反応|理想と現実のギャップ
学制発布は、
すぐに歓迎されたわけではありません。
- 学費の負担
- 労働力不足への不安
- 「勉強は役に立たない」という反発
各地で、
学制反対一揆も起こります。
それでも政府は、
教育制度を後退させませんでした。
それは、
教育こそが国の未来を決める
と信じていたからです。
学制発布が日本にもたらした影響
社会への影響
- 識字率の向上
- 近代的価値観の普及
- 職業選択の広がり
国家への影響
- 官僚・技術者の育成
- 軍・産業・行政を支える人材確保
- 国民国家としての基盤形成
学制発布は、
静かだが最も長く効き続ける改革
だったと言えます。
学制発布の限界|すぐに完成した制度ではなかった
初期の学制は、
- 現実に合わない学区
- 教員不足
- 地域格差
といった問題を抱えていました。
そのため後に、
- 教育令
- 小学校令
などへと改められていきます。
学制発布は、
完成形ではなく出発点
だったのです。
まとめ|学制発布は「人をつくる国」を宣言した日だった
学制発布は、
単なる学校制度の話ではありません。
それは、
- 国を制度で作る
- その制度を人が支える
- だから人を育てる
という、
近代国家の思想そのもの
を示した出来事でした。
日本の学校制度は、
この日から始まったのです。

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