帝国議会は、すでに存在していました。
しかし、政治の実権はまだ
政府(官僚)側にありました。
議会はあっても、
「政治を動かす仕組み」には
なっていなかったのです。
この状況を大きく変えた存在。
それが
立憲政友会(りっけんせいゆうかい)
でした。
立憲政友会とは|日本初の本格的な政党
立憲政友会とは、
1900年(明治33年)に結成された、
日本で初めて政権運営を担うことを前提とした政党です。
それまでの政党は、
- 政府に反対する存在
- 議会で意見を述べる存在
にとどまっていました。
立憲政友会は違います。
政党が政府をつくり、
政党が政治を動かす
この発想を、
初めて現実のものにした政党でした。
なぜ立憲政友会が必要だったのか|行き詰まる政治
明治後期、日本の政治は
大きな壁にぶつかっていました。
- 予算は議会で否決される
- 政府と衆議院が対立する
- 政治が前に進まない
原因は明確です。
議会と政府が、完全に分断されていた
からです。
この行き詰まりを解消するため、
「政府と議会をつなぐ存在」が
求められました。
中心人物|伊藤博文
立憲政友会をつくった中心人物が、
伊藤博文です。
伊藤は、
- 大日本帝国憲法の起草者
- 初代内閣総理大臣
という、
官僚政治の象徴的存在でした。
その伊藤が、
あえて政党をつくった理由。
それは、
政党を排除する政治は、
もう成り立たない
と悟ったからです。
立憲政友会の結成|政府が政党と手を組んだ日
1900年、
伊藤博文は、
- 官僚
- 既存の政党勢力(自由党系)
をまとめ、
立憲政友会を結成します。
これは、
- 政府 vs 政党
から - 政府+政党
への、大きな転換でした。
この瞬間、
日本の政治は「政党を前提とする時代」
に入ったのです。
何が変わったのか|政党が政治を動かし始めた
立憲政友会の誕生によって、
- 議会で多数派をつくる
- 予算を通す
- 政策を実行する
という流れが、
現実的に機能し始めます。
政治は、
- 個人の判断
- 官僚の裁量
だけでなく、
政党の合意と多数
によって動くようになりました。
史実で整理する|立憲政友会の基本データ
ここで、史実として整理します。
結成年
- 1900年(明治33年)
中心人物
- 伊藤博文
性格
- 政権運営を前提とした政党
- 政府寄りの現実路線
特徴
- 衆議院での多数派形成
- 予算成立を重視
政党政治の始まりとは何を意味するのか
立憲政友会の登場は、
単に政党が増えた、
という話ではありません。
それは、
- 政治責任の所在が明確になり
- 政策に一貫性が生まれ
- 国民の選択が政治に影響する
という、
近代政治の基本構造が整った
ことを意味します。
限界もあった|完全な民主政治ではない
もちろん、
この時点の政党政治は未完成でした。
- 選挙権は制限付き
- 元老の影響力は強い
- 天皇主権は維持
それでも、
政治は話し合いと多数で動く
という考え方は、
確実に根づき始めます。
立憲政友会が日本に残したもの
立憲政友会は、
のちに
- 政党内閣の定着
- 大正デモクラシー
へとつながる
土台をつくりました。
もしこの政党がなければ、
日本の議会政治は
もっと長く停滞していたでしょう。
まとめ|立憲政友会は「政治の主役が生まれた日」だった
立憲政友会の誕生は、
日本政治において、
- 官僚だけの政治
から - 政党が担う政治
への、決定的な転換点でした。
この日、日本で初めて、
「政治を動かす主役」が
はっきりと姿を現した
のです。

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