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室町文化とは|北山文化と東山文化、2つの顔を知る

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室町文化とは、足利義満の時代に育った「北山文化」と、足利義政の時代に育った「東山文化」という2つの大きな流れを中心に、能・水墨画・茶の湯・庭園・書院造など、現代の私たちが思い浮かべる「和」のイメージの土台を作った文化です。とくに東山文化は、応仁・文明の乱という大きな戦乱の最中・直後に発展しており、「争いの時代になぜ文化が育ったのか」という室町時代らしい不思議さを体現しています。

この記事を読むとわかること

  • 室町文化が「北山文化」と「東山文化」という2つの顔を持つ理由
  • 戦乱の時代になぜ文化が育ったのか
  • 能・水墨画・茶の湯・庭園・書院造が、どのようにつながっているのか
目次

室町文化とは?

室町文化は、ひとつの統一されたスタイルではありません。室町時代の約240年間の中で、前半は足利義満を中心とする「北山文化」、後半は足利義政を中心とする「東山文化」という、性格の異なる2つの文化が育ちました。北山文化は、公家文化と武家文化、禅宗文化が融合した、華やかで国際性のある文化です。一方の東山文化は、簡素・幽玄・わびを特色とする、静けさを重んじる文化です。この2つを足利将軍家の名で象徴する建物が、金閣(鹿苑寺)と銀閣(慈照寺)です。

この文化で何が変わったのか
能・狂言・水墨画・茶の湯・庭園・書院造など、現代日本で「伝統文化」と呼ばれているものの多くが、この室町時代に基本の形を作りました。武家が文化の主役になった時代、と言うこともできます。

なぜ室町時代に文化が大きく発展したのか

権力者が文化を自分の権威の証にしたから

足利義満は、南北朝の合一や有力守護の抑え込みによって将軍権力を確立し、さらに日明貿易を始めて経済力も手にしました。その力を背景に金閣を建て、北山文化を生み出します。義政も、応仁・文明の乱で政治的な力を発揮できなかった分、銀閣の建立と東山文化の発展に力を注いだと考えられています。つまり室町文化は、将軍が「自分は何者か」を文化の力で示そうとした結果でもあります。

禅宗が多くの文化のベースになったから

幕府の保護を受けた禅宗(五山十刹の制)は、水墨画・庭園・茶の湯など、室町文化の多くの分野の土台になりました。禅の「簡素さの中に深い意味を見いだす」という考え方が、東山文化の「わび」の美意識にも強く影響しています。

戦乱の中でも、人は美を求め続けたから

東山文化が発展したのは、応仁・文明の乱という11年にも及ぶ大乱の最中・直後でした。政治や社会が大きく乱れていたにもかかわらず、文化はむしろこの時期に深まっています。争いの時代だからこそ、人は静けさや美を求めたのかもしれません。

戦に勝つだけでは、文化は生まれない
義満も義政も、権力闘争に勝ち続けた将軍ではありません。むしろ義政は政治的にはうまくいかなかった将軍です。それでも文化が大きく育ったという事実は、政治の成功・失敗とは別の場所で、人の創造力が動いていたことを教えてくれます。

室町文化を代表する人物・分野

足利義満と北山文化

金閣を建て、公武融合・禅宗文化が融合した華やかな文化を代表する。
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足利義政と東山文化

銀閣を建て、簡素・幽玄・わびを特色とする文化を代表する。
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雪舟と水墨画

明で学んだ水墨画を、日本独自の様式へと発展させた画僧。
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一休宗純と禅の生き方

幕府の保護下にある五山派から距離をとり、自由な生き方をした禅僧。
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能と狂言も、この時代を代表する文化です。観阿弥・世阿弥の親子が大成させた能は、足利義満の後援を受けて庶民芸能から洗練された芸術へと発展したとされています。また、村田珠光に始まり、後の時代に千利休が完成させる「わび茶」の出発点も、この東山文化の時期にあります。

室町文化はどのように広がったのか

STEP1 南北朝の動乱の中で、公武融合の文化的土台ができる

STEP2 足利義満の権力確立とともに、北山文化(金閣)が花開く

STEP3 応仁・文明の乱という大乱の最中・直後に、東山文化(銀閣)が深まる

STEP4 戦乱で都を離れた文化人が地方へ移り、室町文化が全国に広がる

ひこまる

北山文化と東山文化って、雰囲気が全然違うんですね。同じ室町時代なのに、どうしてこんなに変わったんですか?

やたまる

うむ、よいところに気づいたのう。北山文化は義満が「力を見せる」ための文化、東山文化は義政が「乱れた時代にどう生きるか」を見つめた文化、と考えると分かりやすいぞ。同じ将軍家でも、置かれた状況がまったく違ったんじゃ。

ひこまる

なるほど。文化って、その人がどんな時代を生きたかが表れるものなんですね。

やたまる

そうじゃ。だからこそ、文化を見るだけで、その時代の空気が見えてくることもあるんじゃよ。

室町文化は、歴史全体にどんな意味を持つのか

室町文化は、公家だけのものだった文化が武家のものになり、さらに庶民にも広がっていく過程を示しています。能・狂言は武家の後援によって庶民芸能から芸術へと洗練され、後の時代にはわび茶や水墨画の精神性が、身分の違いを超えて受け継がれていきました。中央(京都)で育った文化が、戦乱を機に地方へ伝わったことも、室町文化の大きな意味のひとつです。

現代への学び|室町文化から見えてくるもの

室町文化が教えてくれるのは、「混乱した時代だからこそ、何を大切にするかが問われる」ということです。義満は力を誇示する文化を、義政は静けさを求める文化を作りました。私たちも、忙しさや混乱の中にいるとき、何かを誇示したくなることもあれば、逆に静けさを求めたくなることもあります。室町文化の2つの顔は、どちらも人間らしい反応であり、どちらも今の私たちの中にあるのではないでしょうか。

まとめ|室町文化は、2つの将軍家の生き方が形になった文化

室町文化は、義満の北山文化と義政の東山文化という、性格の異なる2つの流れを中心に育ちました。能・水墨画・茶の湯・庭園・書院造など、現代に続く「和」の文化の多くが、この時代に基本の形を作っています。戦乱の時代になぜ文化が育ったのかを考えることは、私たちが今の時代をどう生きるかを考えるヒントにもなります。

参考資料・参考図書

・『一冊でわかる 室町時代』

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