1912年9月13日。
明治天皇の大喪の日。
一人の軍人が、
妻とともに、自ら命を絶ちました。
乃木希典の殉死です。
この出来事は、
多くの国民に衝撃を与え、
明治という時代の終わりを、
強く印象づけました。
乃木希典とはどんな人物か
乃木希典は、
日露戦争で旅順攻略戦を指揮した陸軍軍人です。
晩年は学習院院長を務め、
明治天皇の孫にあたる裕仁親王(のちの昭和天皇)に、
質素な生活を送るよう指導していました。
雨の日も馬車を使わせず、
徒歩で通学させる。
それほどまでに、
乃木は天皇家から特別あつかいを受け、
信頼されていた人物でした。
明治天皇についてはこちらでくわしく解説しています。
明治天皇とは?激動の時代を生きた近代日本の象徴
殉死の背景にあったもの
『一冊でわかる明治時代』(大石学監修、河出書房新社、2024年)は、
この殉死の背景に、
- 日露戦争で多数の戦死者を出したことへの深い後悔の念
があったとみています。
これは同書による解釈であり、殉死の動機を確定するものではありません。
旅順攻略戦では、
多くの兵士が犠牲になりました。
指揮官として、
その重みを背負い続けていたのかもしれません。
評価が分かれる、乃木の死
乃木の死をめぐっては、
今も評価が大きく分かれます。
- 主君への忠義という、古代から続く価値観
- 近代国家という、新しい前提
その両方が入り混じった出来事として、
今も語り継がれています。
忠誠、武士的価値観、明治精神。
それらが、
天皇と共に去っていく――
当時の人々は、
乃木の死を、そう受け止めました。
明治神宮の造営
明治天皇の陵墓は、
京都市伏見区に、神道式で造営されました。
これとは別に、
東京・渋谷には、
明治天皇を祭る明治神宮が新たに造営されています。
大喪そのものは仏教式で営まれた一方で、
国家神道の普及が並行して進められていました。
明治神宮の造営は、
そうした流れの中に位置づけられます。
まとめ|乃木希典の殉死が示すもの
乃木希典の殉死は、
一人の軍人の死であると同時に、
- 古い価値観と新しい国家が共存した明治という時代の性格
- 日露戦争の重い代償
を、静かに映し出す出来事でした。
明治天皇の崩御とあわせて、
明治という時代の終わり方を象徴しています。
明治天皇崩御についてはこちらでくわしく解説しています。
明治天皇崩御とは?明治時代が終わった瞬間
ひこまるとやたまるで理解するポイント
ひこまる乃木希典は、なぜ明治天皇のあとを追ったの?



本人の動機を一つに決めつけることはできぬ。明治天皇への忠誠、戦争で多くの部下を失った責任感など、複数の背景から慎重に考える必要があるんじゃ。



殉死は当時の人から同じように評価されたの?



そうではないぞ。忠義の象徴と受け止める人もいれば、時代に逆行する行為と見る人もいたんじゃ。評価が分かれた点も明治の終わりを考える手がかりじゃな。
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出典:大石学監修『一冊でわかる明治時代』河出書房新社、2024年、265〜266頁。









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