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留守政府が担ったのは、使節団不在中の「留守番」だけではありません。1871年末から1873年、岩倉使節団が欧米を訪問している間、日本国内の政治を担った政府です。西郷隆盛、大隈重信、江藤新平、大木喬任らが、学制、徴兵令、地租改正など国家の基盤となる改革を進めました。
使節団との約束では大改革を控えるはずでしたが、国内の課題は待ってくれませんでした。帰国した使節団との政策対立が、明治六年政変につながります。
留守政府をひとことでいうと
| 観点 | 内容 |
|---|---|
| 期間 | 1871年末〜1873年 |
| 不在だった中心人物 | 岩倉具視、木戸孝允、大久保利通、伊藤博文ら |
| 国内を担った人物 | 西郷隆盛、大隈重信、江藤新平、大木喬任ら |
| 主な改革 | 学制、徴兵令、地租改正など |
| 結果 | 改革を急ぐ国内組と帰国組の対立が表面化 |
なぜ岩倉使節団は海外へ行ったのか
使節団の第一目的は、幕末に結ばれた不平等条約の改正に向けた予備交渉でした。さらに欧米諸国の政治、産業、教育、軍事などを現地で調査し、日本の制度作りに生かそうとしました。
特命全権大使は岩倉具視、副使には木戸孝允、大久保利通、伊藤博文、山口尚芳が任命されました。政府の中心人物が長期間不在になるため、国内を運営する留守政府が必要になりました。
留守政府は何を進めたのか
| 改革 | 内容と意味 |
|---|---|
| 学制 | 全国的な学校制度の出発点を作った |
| 徴兵令 | 身分にかかわらず男子を兵役に組み込む制度を進めた |
| 地租改正 | 土地の価値を基準に現金で税を納める制度へ改めた |
| 司法制度 | 江藤新平を中心に近代的な裁判制度を整えた |
これらは近代国家に必要な改革でしたが、生活と負担を急に変えるものでもありました。徴兵や新しい税への反発は各地に広がります。
なぜ使節団との対立が起きたのか
出発前には、使節団の留守中に重大な制度変更を控える申し合わせがありました。しかし留守政府は、国内統治を安定させるため改革を次々に進めます。
欧米の国力を見た大久保・木戸らは帰国後、国内制度を整えることを優先しました。一方、留守政府内では朝鮮との外交問題が大きくなり、西郷隆盛を使節として派遣する案が進みます。この意見の違いが政変へ発展しました。
まとめ
留守政府は、岩倉使節団の外遊中に西郷隆盛らが国内政治を担った政府です。学制、徴兵令、地租改正などを進め、明治国家の制度を急速に形作りました。
しかし改革の速度と外交方針をめぐり、帰国した使節団の中心人物と対立します。留守政府の成果と亀裂の両方が、明治六年政変を理解する鍵です。
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