「今の日本人には、共通する道徳や規律があるのだろうか」――このシリーズ「私たちの精神――武士道を読み解く」は、そんな一つの問いから始まりました。新渡戸稲造の『武士道』をきっかけに、武士道という言葉を史料と研究にもとづいて調べ直していくと、そこには単純な一つの物語ではなく、鎌倉時代から令和の現代まで、時代ごとに姿を変えてきた複雑な歴史が見えてきます。このページでは、シリーズ全10記事を、思想の骨格を扱う第1部と、時代ごとの変化を追う第2部に分けて紹介します。
このシリーズの結論
10記事を通じて見えてきたのは、「武士道」という一つの完成された教えが古代から現代まで受け継がれてきたのではなく、鎌倉武士の御恩と奉公、江戸時代の士道論・武士道論、明治期に新渡戸稲造が英語で著した『武士道』、そして国家主義の言葉として再構成された戦前の武士道、というように、それぞれの時代が置かれた状況に応じて、そのつど「武士道」という言葉の中身が組み立て直されてきた、という事実です。良い面(礼儀・誠実さの参照点としての側面)と危うい面(国家主義的に利用された歴史、史実としての裏づけの弱さ)の両方があることも、シリーズを通じて確認してきました。どの記事も、「史料からわかること」「研究者による整理」「教科書的な理解」「ジャパレキとしての考察」を区別しながら書いています。
第1部:武士道とは何か――思想の骨格を読み解く
第1部は、新渡戸稲造の『武士道』を出発点に、武士道という言葉と思想そのものの骨格を確認する4記事です。
第2部:時代ごとの武士道――鎌倉から現代まで
第2部は、鎌倉時代から現代まで、武士(と、武士がいなくなったあとの「武士道」)が時代ごとにどう変わっていったかを追う、全6章7記事です。第2章のみ、室町編と戦国編の2記事に分かれています。
よくある誤解Q&A
Q. 武士道は、鎌倉時代からずっと同じ教えだったのですか?
いいえ。鎌倉武士の規範(御恩と奉公)、江戸時代の士道論・武士道論、新渡戸稲造の武士道、戦前の国家主義的な武士道は、それぞれ性格が異なります。「武士道」という言葉のもとに、時代ごとに違う中身が入ってきた、というのがシリーズを通じての確認です(第1部、第2部各章)。
Q. 武士道は軍国主義の教えだったのですか?
教育勅語・軍人勅諭という戦前の国家的な道徳規範には、実は「武士道」という語そのものは使われていません。武士道が国家主義の言葉として使われるようになったのは、井上哲次郎らがそれを国民道徳論として再構成していった、もう少しあとの時代のことです。単純に「武士道=軍国主義」と言い切ることはできません(第5章)。
Q. 新渡戸稲造の武士道と、江戸時代の武士の倫理は同じものですか?
違います。新渡戸の『武士道』は1899年に英語で、海外の読者に向けて書かれたものです。江戸時代の士道論(山鹿素行)や、明治以降に国内向けに語られた国家主義的な武士道とは、書かれた言語も、想定した読者も、性格も異なります(第1部第4回、第2部第5章)。
Q. 現代日本人にも武士道は残っているのですか?
この問いに一括りで「残っている」と答えられるだけの学術的な検証は、今回の調査では確認できませんでした。武道がスポーツとして復活したことや、企業倫理に新渡戸の徳目が取り上げられる例はありますが、これらは限定的な事例です。断定を避け、慎重な留保が必要な問いとして扱っています(第6章)。
おすすめの読む順
武士道という言葉の骨格から知りたい方は第1部(第1回〜第4回)から、時代ごとの武士の実像から知りたい方は第2部(第1章〜第6章)から読み進めることをおすすめします。両方を読むと、「武士道」という一つの言葉が、いかに多くの時代・立場を経て今の姿になったかが見えてきます。
まとめ
「私たちの精神――武士道を読み解く」は、新渡戸稲造の『武士道』という一冊の本への素朴な問いから始まり、鎌倉時代から現代まで、武士道という言葉がどう作られ、使われ、語り直されてきたかを史料と研究にもとづいて追いかけたシリーズです。武士道は一枚岩の教えではなく、それぞれの時代が必要とした形に組み立て直されてきた言葉である――これが10記事を通じての結論です。ぜひ第1部・第2部それぞれの記事もあわせてご覧ください。

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