明治時代– tag –
-
ジャパレキ自由帳
修身教育はどのように作られた?教育勅語と国定教科書の成立|『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』第1章
修身教育は、教育勅語が出された明治23年(1890年)に突然始まったものではありません。学校教育の制度づくり、徳育をめぐる議論、教育勅語の成立、検定教科書の普及と教科書疑獄事件、国定教科書への移行が段階的に重なって形づくられました。 北影雄幸『... -
思想・価値観
『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』徹底解説|道徳教育はどう戦時化したのか
『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』は、明治から昭和戦前期に使われた修身教科書の文章を、北影雄幸氏が10のテーマに分けて紹介・解説した本です。 この本の価値は、当時の子どもがどのような言葉で「よい生き方」を教えられたのかを、教科書の文章から追え... -
参考図書紹介
『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』とは?戦前の道徳教育を知る一冊
『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』は、明治から昭和戦前期の修身教科書を、現代の読者がたどるための本です。 この本の魅力は、当時の教科書の言葉に触れながら、修身教育が時代とともに変わった様子を読み比べられることです。ただし、教科書から採られた... -
出来事
台湾征討(乙未戦争)とは?日本統治の始まりと台湾側の抵抗
台湾征討(乙未戦争)は、1895年の日清講和条約で清から日本へ割譲された台湾を、日本軍が武力で占領していった戦争です。 日本側では近衛師団長・北白川宮能久親王の困難な行軍と現地での死が、献身の物語として伝えられました。一方、台湾側から見れば、... -
出来事
教科書疑獄事件とは?汚職から生まれた国定教科書制度の始まり
教科書疑獄事件は、1902年に発覚した教科書採択をめぐる贈収賄事件です。この事件は、民間が作り国が審査する検定教科書から、国が直接編集する国定教科書へ移る直接の契機になりました。 ただし、国定化は事件だけで突然決まったのではありません。以前か... -
人物
広瀬武夫と橘周太とは?日本最初期の「軍神」が生まれた理由
広瀬武夫と橘周太は、日露戦争の別々の戦場で命を落とし、死後に海軍と陸軍を代表する「軍神」として知られた人物です。 広瀬は沈みゆく閉塞船で行方不明の部下を捜し、橘は首山堡の戦闘で重傷を負いながら部下を励ましたと記録されています。ただし、確認... -
人物
佐久間勉とは?潜水艇事故で残した記録と「沈勇」の教え
佐久間勉は、1910年の第六潜水艇沈没事故で、13人の部下とともに亡くなった海軍軍人です。酸素が失われる艇内で事故の経過と部下の遺族への配慮を書き残したことで、「沈勇」の人物として知られました。しかし、この出来事を美しい最期だけで語ることはで... -
人物
木口小平とは?「死してもラッパを離さず」は史実か、修身教科書が作った兵士像
木口小平は、日清戦争の成歓の戦いで戦死した陸軍のラッパ手です。戦後、「死んでもラッパを口から離さなかった兵士」として教科書に描かれ、多くの子どもに知られる存在になりました。ただし、確認できるのは木口がラッパ手として出征し、戦死したことで... -
ジャパレキ自由帳
修身とは?教科書からたどる、戦前の日本人が学んだ生き方
修身とは、近代日本の学校で、人としての行い方や社会の中での務めを教えた科目です。ここで最初に押さえたいのは、修身は教育勅語をもとに新しく作られた科目ではないということです。修身の授業は教育勅語より前からあり、明治23年(1890年)に教育勅語... -
ジャパレキ自由帳
教育勅語の光と影|成立理念と学校での運用を分けて考える
教育勅語には、家族、友人、学問、仕事、公益を大切にする教えがある一方、それらを天皇への忠誠と国家への奉仕へ結びつける構造があります。成立時の理念と、学校で儀礼化・絶対化された後世の運用の両面から考える必要があります。 教育勅語を歴史から考...
