2026年– date –
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人物
広瀬武夫と橘周太とは?日本最初期の「軍神」が生まれた理由
広瀬武夫と橘周太は、日露戦争の別々の戦場で命を落とし、死後に海軍と陸軍を代表する「軍神」として知られた人物です。 広瀬は沈みゆく閉塞船で行方不明の部下を捜し、橘は首山堡の戦闘で重傷を負いながら部下を励ましたと記録されています。ただし、確認... -
人物
和気清麻呂とは?宇佐八幡宮神託事件で原則を貫いた官人
和気清麻呂は、奈良時代末期の宇佐八幡宮神託事件で、道鏡の皇位継承を認めない神託を朝廷へ報告した官人です。その結果、名を変えられ、大隅国へ流されました。後世、清麻呂は「道鏡の野望を防いだ忠臣」として称えられました。ただし、道鏡がどのような... -
人物
楠木正成とはどんな人?史実と「忠臣の鑑」の物語を分けて見る
楠木正成は、鎌倉幕府の打倒を目指す後醍醐天皇を軍事面で支えた武将です。千早城では少ない兵で幕府軍を足止めし、1336年の湊川の戦いで敗れて亡くなりました。後世、正成は「忠臣の鑑」として称えられました。しかし、「桜井の別れ」や湊川出陣前の進言... -
人物
佐久間勉とは?潜水艇事故で残した記録と「沈勇」の教え
佐久間勉は、1910年の第六潜水艇沈没事故で、13人の部下とともに亡くなった海軍軍人です。酸素が失われる艇内で事故の経過と部下の遺族への配慮を書き残したことで、「沈勇」の人物として知られました。しかし、この出来事を美しい最期だけで語ることはで... -
人物
木口小平とは?「死してもラッパを離さず」は史実か、修身教科書が作った兵士像
木口小平は、日清戦争の成歓の戦いで戦死した陸軍のラッパ手です。戦後、「死んでもラッパを口から離さなかった兵士」として教科書に描かれ、多くの子どもに知られる存在になりました。ただし、確認できるのは木口がラッパ手として出征し、戦死したことで... -
ジャパレキ自由帳
修身とは?教科書からたどる、戦前の日本人が学んだ生き方
修身とは、近代日本の学校で、人としての行い方や社会の中での務めを教えた科目です。ここで最初に押さえたいのは、修身は教育勅語をもとに新しく作られた科目ではないということです。修身の授業は教育勅語より前からあり、明治23年(1890年)に教育勅語... -
ジャパレキ自由帳
教育勅語の光と影|成立理念と学校での運用を分けて考える
教育勅語には、家族、友人、学問、仕事、公益を大切にする教えがある一方、それらを天皇への忠誠と国家への奉仕へ結びつける構造があります。成立時の理念と、学校で儀礼化・絶対化された後世の運用の両面から考える必要があります。 教育勅語を歴史から考... -
ジャパレキ自由帳
教育勅語は儒教道徳だったのか?井上毅と元田永孚の思想
教育勅語には、孝行、友愛、夫婦の和、朋友の信など、儒教と深く関わる徳目が含まれています。しかし、儒教の教典をそのまま要約した文書ではありません。儒教的な家族道徳を、天皇を中心とする明治国家の国民道徳へ組み直した文書です。 教育勅語を歴史か... -
ジャパレキ自由帳
教育勅語は命令ではなかった?起草時の配慮と学校教育での位置づけ
教育勅語が命令だったかを考えるには、起草時の配慮と、発布後の学校教育での位置づけを分ける必要があります。井上毅は法令や政治的命令の形式を避けようとしましたが、教育勅語は後に学校儀礼と修身教育を通じて強い規範性を持ちました。 教育勅語を歴史... -
出来事
教育勅語はなぜ失効した?戦前の運用と1948年の国会決議
教育勅語は、敗戦後に日本国憲法と教育基本法による教育へ転換したことで、教育の根本原理としての地位を失いました。1948年6月19日、衆議院は排除を決議し、参議院はすでに失効していることを確認しました。 教育勅語を歴史から考える|全10回シリーズ ← ...
