4|三・一五事件を、普通選挙の結果だけで説明しない
1928年3月15日、田中内閣のもとで日本共産党員と関係者が全国一斉に大量検挙されました。三・一五事件は、共産党が同日に暴動を起こした事件ではなく、政府・警察が実施した検挙事件です。
中心となったのは特別高等警察、いわゆる特高でした。特高は一般犯罪ではなく、思想運動、政治結社、労働運動、社会運動を重点的に監視・捜査する警察部門で、治安維持法の運用拡大とともに役割を強めます。
普通選挙によって左派運動が以前より目立つようになったことは、事件の背景にあります。しかし、「無産政党が当選したため、政府が直ちに弾圧した」と一直線につなぐのは適切ではありません。政府・警察は以前から非合法の日本共産党を捜査しており、その組織を対象として一斉検挙を行いました。
| 区別する点 | 内容 |
|---|---|
| 背景 | 男子普通選挙で労働運動・左派運動が以前より政治の場で目立った |
| 直接の対象 | 政府が以前から捜査していた非合法の日本共産党と関係者 |
| 事件の主体 | 政府・警察による全国一斉検挙 |
歴史上の因果関係を考えるときは、条件を作った背景と、その行動を実行させた直接の理由を分ける必要があります。
5|政府は、治安維持法と治安警察法を使い分けた
三・一五事件後の1928年4月10日、政府は次の三団体を禁止しました。
| 禁止された団体 | 性格 |
|---|---|
| 労働農民党 | 労働者・農民を主な基盤とする合法政党 |
| 日本労働組合評議会 | 左派系の労働組合組織 |
| 全日本無産青年同盟 | 無産青年運動の団体 |
日本共産党員と関係者の検挙には治安維持法が用いられましたが、三団体の結社禁止には、1900年制定の治安警察法第8条が用いられました。労働農民党は合法政党であり、治安維持法によって結社を禁止されたのではありません。政府は共産党との人的・思想的な関係を問題にし、集会・結社を扱う治安警察法によって禁止しました。
戦前の政治運動への取締りを、すべて治安維持法だけで説明することはできません。集会条例、保安条例、治安警察法、治安維持法が、対象と時期に応じて使い分けられました。1900年に制定された法律が28年後にも使われたことは、一度設けられた制度が後の政権へ引き継がれることを示します。
6|議会で成立しなかった改正を、なぜ緊急勅令で実施できたのか
三・一五事件後、田中内閣は治安維持法の刑罰を重くし、取締りの範囲を広げようとしました。しかし、改正案は帝国議会で成立しませんでした。
田中内閣は議会閉会後の1928年6月29日、緊急勅令によって治安維持法を改正します。明治憲法第8条は、議会閉会中に緊急の必要がある場合などに、法律に代わる規定を勅令で定める仕組みを置いていました。後の議会で承諾を求める手続はありましたが、政府は議会で成立しなかった内容を実施できました。
1927年と1928年を並べると、緊急勅令が政党にとって障害にも道具にもなったことがわかります。
| 年 | 内閣と緊急勅令 | 結果 |
|---|---|---|
| 1927年 | 若槻内閣が台湾銀行救済の緊急勅令案を提出 | 枢密院が否決し、内閣が総辞職した |
| 1928年 | 田中内閣が治安維持法を緊急勅令で改正 | 議会で成立しなかった改正が実施された |
改正内容の要点は二つです。
| 改正点 | 内容 |
|---|---|
| 最高刑の引上げ | 1925年法の最高刑10年から、国体変革を目的とする結社の指導者などに死刑・無期・5年以上を科せる規定へ改めた |
| 目的遂行罪 | 結社への正式な加入だけでなく、その目的を遂行するための行為も処罰対象とした |
「目的を遂行するための行為」は、何を含むかが運用に委ねられる範囲を広げました。後に適用対象が共産党員の周辺にいる人々や宗教団体などへ広がる際、この規定が用いられます。
1929年4月16日には、残存する共産党組織を対象として四・一六事件が起こりました。全国規模の検挙によって中央組織は大きな打撃を受け、佐野学、徳田球一、福本和夫らが法廷や獄中で長い時間を過ごすことになります。
7|参加の拡大と取締りの強化は、短い期間に続いた
1928年の最初の半年を並べると、政治参加と取締りがどれほど近い時期に進んだかが見えます。
1875年の立憲政体樹立方針と讒謗律・新聞紙条例、1900年の政友会結成と治安警察法、1925年の男子普通選挙法制と治安維持法でも、制度内の政治参加と取締りは並行していました。1928年には、選挙、一斉検挙、法改正が4か月のうちに続きます。
政治参加が広がることと、政治活動の自由が同じ範囲で広がることは別でした。

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