当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
09|THE COLLAPSE
なぜ鎌倉幕府は滅びた?
元寇後の恩賞問題、御家人の困窮、政治への不満、倒幕運動がどう重なったのかを整理します。

外国からの侵攻を防いだ戦いでは新しい領地を得にくく、幕府は十分な恩賞を用意できませんでした。これが土地を基盤とする御恩と奉公を揺らします。
二つの問題が積み重なる↓
幕府を支える側御家人・有力武士の心が幕府から離れる
+
幕府を倒す側後醍醐天皇が倒幕運動を進める
↓
決定的な転換足利尊氏が京都の六波羅探題を攻め、新田義貞が鎌倉を攻める
↓
幕府の軍事的な基盤が崩れる1333年 鎌倉幕府滅亡
鎌倉の政権は終わりますが、武士が政治を担う流れは次の政権へ続きます。
ひこまるえっ……でも元寇に勝ったんだよね?勝ったのに、なんで幕府が苦しくなるの?



そこが鎌倉幕府の悲劇じゃな。御家人たちは命がけで戦ったんじゃが、外国相手の防衛戦では、勝っても新しい土地が得られないんじゃ。御恩と奉公の仕組みは「土地」で成り立っていたから、恩賞が出せなければ御家人の信頼は崩れていく——勝利がかえって幕府の矛盾を浮き彫りにした、ということじゃよ。
10|CONCLUSION
結局、鎌倉時代ってどんな時代?
鎌倉時代最大の変化は、鎌倉に幕府が置かれたことだけではありません。朝廷や貴族だけでなく、土地を基盤とする武士たちが政治を担う仕組みが成立したことです。
平安時代貴族中心の政治
→鎌倉時代武士による政治の成立
→室町時代武士政権のさらなる展開
※鎌倉幕府の成立年には複数の見方があります。このページでは、守護・地頭の設置によって全国的な武士政権の仕組みが整った1185年ごろを、時代の流れを理解する目安として示しています。


コメント