昭和13年の「よい日本人」が強調した忠君愛国
本書が次に紹介するのは、昭和13年(1938年)3月発行の5年生用修身書です。前年には日中戦争が始まっており、教材の冒頭には万世一系、国体、忠君愛国が置かれます。
教材は、歴代天皇が臣民を慈しみ、臣民も忠孝を尽くしてきたと説明します。そして国家の重大事には挙国一致で報公の誠を尽くし、平時には大御心を奉じ、それぞれの仕事に励んで国運の隆昌を図ることが忠君愛国の道だと教えました。
ここでいう愛国は、感情だけではありません。法令や市町村の規則を守る、公徳と衛生を大切にする、公益を広げる、学問と勤労に励む、倹約する、産業を発展させる。日常の務めを積み重ね、国力を充実させることも「国を愛する道」とされました。
対象となったのは、おおむね10歳から11歳の小学5年生です。日中戦争が進行するなか、教材は国家の重大事には挙国一致で報公の誠を尽くし、平時には各自の仕事を通じて国運の隆昌を図るように教えました。本書は、将来の国運が子どもの成長にかかっていると考えられたからこそ、小学校の修身が重視されたと説明します。
- 国の法令から市町村の規則まで守る
- 公衆に対する礼儀と公徳を守る
- 衛生に注意する
- 公益を広め、人々の幸福を図る
- 身体を健康にし、学問に励む
- 勤労を愛し、倹約を守る
- 産業を興し、国力を充実させる
このように、愛国心は旗印や感情だけで表されるものではありませんでした。勉強、健康、勤労、節約、法令遵守、衛生、公共への配慮という日々の行動が、国を豊かにし、国を愛する実践になるとされたのです。
国の長所も短所も含めて愛するという著者の主張
本書の著者は、愛国とは自国の長所だけを評価することではなく、短所も含めて無条件に愛することだと論じます。完璧だから愛するのではなく、自分の国だから大切にするという考え方です。これは修身教科書の文言そのものではなく、教材を受けた著者の愛国論として区別する必要があります。
完璧な国はなく、当時の日本にも短所はありました。「短所があるから愛せない」のではなく、「自分の国だから短所も含めて大切にする」という考え方は、国への愛着とは無批判な肯定なのか、問題を直そうとする責任まで含むのかを考える入口になります。
短所を認めながら共同体を大切にすることと、国家の政策を無条件に支持することは同じではありません。国を愛するからこそ誤りを指摘するという立場も成り立ちます。本書の「無条件の愛」は著者の価値観として受け止め、その帰結まで確かめる必要があります。
無条件の愛国は、自己犠牲へつながった
著者は、21歳で特攻に参加した海軍特攻隊員の「日本を恋している」「だから無条件」という趣旨の言葉を取り上げます。そして見返りを求めない愛国が、自己犠牲や戦死を受け入れる精神へ結びついたと高く評価します。
本書によれば、この青年は「立派な日本人」「忠義一途の人間」になれれば、人に知られずに消えても満足だという趣旨を述べ、のちに西カロリン諸島ウルシー泊地で敵艦へ突入したとされます。著者は「無条件」という言葉を、無私の精神、見返りを求めない奉仕、自己犠牲へと結びつけ、愛する国に殉じることを男子の本懐や光栄として描きます。
しかし、引用された青年の詳しい人物情報と発言の出典は、本書の該当箇所だけでは十分に確定できません。また、個人が残した覚悟の言葉を、特攻作戦そのものの肯定へ直結させることもできません。特攻には命令、志願、同調圧力、家族への配慮など複雑な背景がありました。青年の心情を尊重することと、死を模範として児童に示す教育を検証することは両立します。
「国を大切にする」という思想が、「国のために死ねれば本望だ」「国のために死ぬべきだ」という地点まで進んだことは、この章の大きな転換点です。愛国、自己犠牲、作戦の是非を一つにまとめず、戦争という特殊な状況のなかで個人の選択肢がどのように狭められたかも考えなければなりません。
修身書が繰り返した個人の修養
戦時的な説明の後で、教材は再び日常の修養へ戻ります。自信と勇気を持つ、進取の気性を養う、信義と名誉を重んじる、恩を忘れない、広く人を愛する、誰にでも親切にする。父母は仕事と子育てに励み、子どもは孝行と兄弟の助け合いを実践する。そして何事にも誠実であることを求めます。
家庭では、父母が仕事に励み、子どもを教養し、家の繁栄を図って国のために尽くすことが示されます。子どもには、父母の教えを守り、孝行し、兄弟仲良く助け合い、父母を安心させることが求められました。「常に誠実を旨とする」なら行いも正しくなり、徳行が身につくと説明します。
これらを実践し、教育勅語にいう「徳器を成就する」ことが、よい日本人になる道だと説明されます。本書は、その先に自分の個性を磨き、「大和魂」と呼ばれる日本精神を血肉とする段階があるとまとめます。ただし「大和魂」は時代により意味が変化した多義的な言葉であり、戦時的な自己犠牲だけを意味してきたわけではありません。
ここまでに見えた「よい日本人」の全体像
- 天皇と皇室を敬う
- 学問と鍛錬によって自分を高める
- 父母を大切にし、兄弟や近隣の人と助け合う
- 正直、誠実、勤勉、倹約を心掛ける
- 人の名誉を重んじ、親切と礼儀を忘れない
- 法令を守り、公共の利益に尽くす
- 健康を保ち、産業と国力の充実に貢献する
- 国家の危機には国を守る
本書は、この積み重ねの先に「大和魂」が形成されるという構造を描きます。国民一人一人の能力と徳が高ければ、国全体も強くなり、他国から攻撃されにくくなる。「戦争を起こさないためにも、自分を高め、国を強くする」という読み方もできます。
ただし、国の強さは軍事力だけではありません。学び、健康を保ち、迷信に惑わされず、勤勉に働き、産業を育て、法律を守り、周囲を大切にし、公共の利益を考えることも社会の強さを作ります。こうした徳目と、戦時期にそれらが「国のために死ぬこと」へ集約された過程は、分けて考える必要があります。

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