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鎌倉時代の出来事一覧|成立期・安定期・動揺期の流れでわかりやすく整理

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鎌倉時代は、源頼朝が武士の政治を形にし、北条氏が幕府を支え、元寇後の不満から鎌倉幕府滅亡へ向かった時代です。

このページでは、鎌倉時代の主な出来事を、ただ年表として並べるのではなく、成立期・安定期・動揺期の3つの流れに分けて整理します。

「どの出来事が、鎌倉時代のどの変化につながったのか」を意識しながら読むと、武士の政治がどのように始まり、強まり、そして滅びへ向かったのかが見えやすくなります。

目次

鎌倉時代の主な出来事をざっくり年表で見る

まずは、鎌倉時代の出来事を大きな流れで見てみましょう。細かい出来事をすべて覚えるよりも、どの出来事が「成立期」「安定期」「動揺期」につながるのかを意識すると理解しやすくなります。

図解で整理

出来事で見る、鎌倉時代の大きな流れ

1185年ごろ〜1192年|鎌倉幕府の成立

源頼朝が御家人をまとめ、鎌倉を拠点に武士の政治が形づくられていきます。

1221年〜1232年|幕府の力が強まる

承久の乱、六波羅探題、御成敗式目によって、幕府の力と武士社会のルールが整います。

1274年〜1333年|元寇から鎌倉幕府滅亡へ

元寇後に御家人の不満が高まり、後醍醐天皇の討幕運動を経て鎌倉幕府は滅びます。

1. 成立期の出来事|源頼朝が武士の政治を形にした

成立期の出来事では、源頼朝が鎌倉を拠点に武士をまとめ、幕府の仕組みが少しずつ整っていく流れを見ていきます。

1185年ごろ〜1192年

鎌倉幕府の成立

武士が政治の中心に立った大転換

源頼朝が鎌倉を拠点に武士をまとめ、貴族中心の政治から武士中心の政治へと時代が動き出しました。

関わった人物:源頼朝

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1185年ごろ

守護・地頭の設置

武士の政治が全国へ広がる仕組み

幕府は守護・地頭を置くことで、全国の軍事や土地に関わる力を強めていきました。

関わった人物:源頼朝/御家人

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1192年

源頼朝が征夷大将軍になる

幕府の形が名実ともに整った節目

頼朝が征夷大将軍に任じられ、武士の政治がより明確な形を持つようになりました。

関わった人物:源頼朝

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成立期をもっと詳しく読む

源頼朝・御家人・御恩と奉公・守護と地頭の流れは、こちらの記事で詳しく整理しています。

鎌倉時代の成立期を読む →

2. 安定期の出来事|北条氏と執権政治で幕府が強まった

安定期の出来事では、源頼朝の死後に揺れた幕府を、北条氏がどのように支え、武士の政治を安定させていったのかを見ていきます。

1199年以後

頼朝の死後、幕府が揺れる

頼朝個人の力から幕府の仕組みへ

源頼朝が亡くなると、将軍家の不安定さや御家人同士の対立が表面化し、幕府を誰が支えるのかが大きな問題になりました。

関わった人物:源頼朝/北条政子/北条氏

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13世紀前半

執権政治の始まり

北条氏が幕府を支える時代へ

北条氏は将軍を補佐する執権の立場から、しだいに幕府政治の実権を握るようになりました。

関わった人物:北条政子/北条義時

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1221年

承久の乱

朝廷より幕府の力が強まった戦い

後鳥羽上皇が幕府を倒そうとしましたが、幕府側が勝利し、武家政権の優位がはっきりしました。

関わった人物:後鳥羽上皇/北条義時/北条政子

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1221年以後

六波羅探題の設置

幕府が京都を見張る仕組みを置いた

承久の乱のあと、幕府は京都に六波羅探題を置き、朝廷や西国の動きを監視するようになりました。

関わった人物:北条氏/鎌倉幕府

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1232年

御成敗式目

武士社会にルールが生まれた

北条泰時が御成敗式目を定め、御家人同士の争いや土地問題を裁く基準が整えられました。

関わった人物:北条泰時

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13世紀前半〜

鎌倉仏教の広がり

不安の時代に人々の心を支えた教え

戦や貧しさ、不安の中で、わかりやすく心の支えになる新しい仏教が広がっていきました。

関わった人物:法然/親鸞/道元/日蓮など

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安定期をもっと詳しく読む

北条氏・執権政治・承久の乱・御成敗式目の流れは、こちらの記事で詳しく整理しています。

鎌倉時代の安定期を読む →

北条氏の内部抗争(1203〜1285年)

1203年 比企能員の変

源頼家を支えた比企氏が北条氏に滅ぼされた事件。北条時政が初代執権に就任した。

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1205年 畠山重忠の乱

忠義の武将・畠山重忠が北条軍に討たれた事件。御家人排除の象徴的な出来事。

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1205年 牧氏事件

北条時政が失脚し、北条義時が2代執権となった事件。北条氏内部の権力移動。

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1213年 泉親衡の乱

北条義時打倒を図った陰謀事件。和田義盛が連座し、和田合戦の引き金となった。

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1213年 和田合戦

侍所別当・和田義盛が北条義時に挑んだ戦い。北条氏が幕府の二大機関を掌握した。

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1247年 宝治合戦

三浦氏が滅亡し、北条得宗家への権力集中が決定的になった戦い。

→ この出来事を詳しく読む
1285年 霜月騒動

安達泰盛と平頼綱が対立し、御家人合議が終わった事件。得宗専制の完成形。

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得宗専制とは?

北条本家(得宗)が幕府を一手に掌握した政治体制。比企・和田・三浦・霜月騒動を経て完成した。

→ この仕組みを詳しく読む

3. 動揺期の出来事|元寇から鎌倉幕府滅亡へ

動揺期の出来事では、元寇をきっかけに御家人の不満が高まり、鎌倉幕府が滅亡へ向かう流れを見ていきます。出来事が多いため、ここでは「元寇と御家人の不満」と「討幕運動と鎌倉幕府滅亡」に分けて整理します。

3-1. 元寇と御家人の不満

1274年・1281年

元寇

勝ったのに幕府が苦しくなった戦い

日本は元軍を退けましたが、防衛戦だったため新しい土地を得られず、御家人への恩賞問題が残りました。

関わった人物:北条時宗/御家人

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1293年

平禅門の乱

北条貞時が内管領・平頼綱を討った転換点

得宗専制を支えた内管領・平頼綱が北条貞時によって誅殺された事件。得宗専制の絶頂と崩壊の始まり。

関わった人物:北条貞時/平頼綱

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1297年

永仁の徳政令

御家人を救おうとしたが、幕府の苦しさも見えた政策

幕府は御家人の土地を取り戻させようとしましたが、御家人の生活苦を根本的に解決することはできませんでした。

関わった人物:鎌倉幕府/御家人

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1324年

正中の変

後醍醐天皇が最初に倒幕を狙った事件

後醍醐天皇の倒幕計画は失敗しましたが、ここから本格的な討幕の動きが始まっていきます。

関わった人物:後醍醐天皇

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1331年

元弘の変

鎌倉幕府の運命が大きく傾き始めた出来事

後醍醐天皇が再び倒幕へ動き出し、鎌倉幕府滅亡へ向かう大きな流れが生まれました。

関わった人物:後醍醐天皇/楠木正成/鎌倉幕府

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3-2. 討幕運動と鎌倉幕府滅亡

1331年

笠置山の戦い

倒幕が全国規模の戦いへ動き出した

後醍醐天皇が笠置山にこもり、幕府と戦いました。倒幕計画は、ひそかな動きから実際の戦いへ変わっていきます。

関わった人物:後醍醐天皇

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1331年

赤坂城の戦い

楠木正成が知恵と工夫で幕府軍に挑んだ

楠木正成が少数の兵で幕府軍を翻弄し、倒幕側の存在感を高めました。

関わった人物:楠木正成

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1332年

楠木正成の赤坂城奪還

失った城を取り返した大逆転

楠木正成が赤坂城を取り戻し、倒幕側の士気を高めるきっかけになりました。

関わった人物:楠木正成

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1333年

千早城の戦い

幕府軍を疲れさせ、倒幕の流れを強めた戦い

楠木正成が千早城にこもって幕府軍を苦しめ、全国の武士たちに大きな影響を与えました。

関わった人物:楠木正成

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1332年

唐崎浜の戦い

西国にも倒幕の動きが広がった

赤松円心の動きによって、倒幕の流れが西国にも広がっていきました。

関わった人物:赤松円心

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1335年

竹ノ下の戦い

建武政権を揺るがした、足利尊氏の決起

1335年(建武2年)、足利尊氏が新田義貞の軍を駿河国竹ノ下で破り、建武政権は崩壊へ向かいました。

関わった人物:足利尊氏/新田義貞

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1333年

新田義貞の進軍

東国の武士が鎌倉へ向かった

新田義貞が鎌倉へ向けて進軍し、幕府滅亡への最終段階が始まりました。

関わった人物:新田義貞

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1333年

久米川の戦い

倒幕軍が勢いをつかんだ最初の勝利

新田義貞の軍が勝利し、多くの武士が倒幕の可能性を感じるきっかけになりました。

関わった人物:新田義貞

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1333年

分倍河原の戦い

勝敗を分けた大きな転機

新田義貞の軍が幕府軍を破り、倒幕側に流れが大きく傾きました。

関わった人物:新田義貞

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1333年

関戸の戦い

鎌倉を守る最後の防衛線が崩れた

鎌倉へ向かう重要な防衛線が突破され、幕府の滅亡が近づきました。

関わった人物:新田義貞/幕府軍

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1333年

稲村ヶ崎の戦い

海からの突破が鎌倉を揺るがした

新田義貞が海から鎌倉へ迫り、鎌倉幕府の防衛線を崩す決定的な一手となりました。

関わった人物:新田義貞

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1333年

鎌倉攻め

150年続いた武士の政権が崩れた最後の戦い

新田義貞の軍が鎌倉に突入し、鎌倉幕府は最後の時を迎えます。

関わった人物:新田義貞/北条高時

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1333年

鎌倉幕府の滅亡

武士の政治が次の形へ動き出した

北条一族が滅び、鎌倉幕府は終わりました。しかし武士の政治は終わらず、次の室町時代へつながっていきます。

関わった人物:北条高時/新田義貞/後醍醐天皇

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1333年〜

建武の新政

鎌倉幕府のあとに始まった新しい政治

後醍醐天皇が天皇中心の政治を目指しましたが、武士とのずれが大きくなり、やがて新たな混乱へ向かいます。

関わった人物:後醍醐天皇/足利尊氏

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1331年

光厳天皇の践祚

南北朝の混乱へつながる出来事

元弘の変の混乱の中で別の天皇が立てられ、のちの南北朝時代へつながる火種となりました。

関わった人物:光厳天皇/後醍醐天皇

詳しく読む →
動揺期をもっと詳しく読む

元寇後の恩賞問題、御家人の不満、後醍醐天皇の討幕から鎌倉幕府滅亡までの流れは、こちらの記事で詳しく整理しています。

鎌倉時代の動揺期を読む →

まとめ|出来事から見ると、鎌倉時代の変化が見えてくる

鎌倉時代の出来事を追うと、武士の政治がどのように始まり、強まり、そして揺らいでいったのかが見えてきます。

鎌倉幕府の成立は、武士が政治の中心に立つ大きな転換点でした。承久の乱や御成敗式目によって幕府は強くなりましたが、元寇後の恩賞問題によって御家人の不満が高まり、やがて幕府滅亡へ向かっていきます。

鎌倉時代の出来事は、ただの年表ではありません。土地を守り、主君に仕え、家を守ろうとした武士たちの生き方や、武士の政治が抱えた限界を考える入口でもあります。

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出来事だけでなく、全体の流れや人物から読むと、鎌倉時代の理解がさらに深まります。

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