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戦国時代まとめ
信長の政権から、秀吉の全国政権へ
長篠の戦いの頃から本能寺の変まで、信長の支配領域は急速に広がりました。信長の死後は、秀吉が軍事行動と政治調整を組み合わせて後継争いを制し、全国政権を形にします。
1575〜1588年|第3章信長・秀吉・家康を一直線に描かない
織田信長畿内を軸に旧来の勢力を再編
将軍・寺社・大名との関係を組み替えました。
豊臣秀吉全国の大名を服属させ制度化
検地や大名配置で支配の共通基盤を整えました。
徳川家康豊臣政権下で最大級の大名へ
秀吉死後の対立を制して幕府を開きました。
三人が最初から役割分担していたわけではありません。それぞれが前の政権を利用し、修正しながら競争を勝ち抜いた結果です。
秀吉が後継争いを制した流れ
本能寺の変信長が死去
山崎の戦い光秀を破る
清須会議・賤ヶ岳織田家中で優位
小牧・長久手家康らと講和・臣従へ
1575〜1588年の流れ
代表的な出来事を、前後の変化がつながるように並べています。
1575
1578〜79
御館の乱
謙信死後の後継争いを上杉景勝が制しました。
1578
耳川の戦い
島津氏が大友氏を破り、南九州で優位を強めました。
1582
1582
1582
1582
1582
清須会議
織田家の後継と領地配分について重臣たちが協議しました。
1583
1584
1582〜98
この時期に起きた変化
本能寺の変は政権を空白にしました。秀吉は光秀を破った速さだけでなく、織田家の後継・領地配分・諸大名との講和を結びつけたことで、軍事的勝利を新たな政権へ変えていきました。

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