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日本政党史②|政党競争の始まりから三大事件建白運動まで

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政党を支えた人々|資金・人脈・言論を分けて見る

政党の歴史を調べると、「どの企業がどの党のスポンサーだったのか」という疑問が出てきます。しかし、現在の企業献金と同じ感覚で明治初期の関係を捉えると、人物や組織の結びつきを単純化してしまいます。

少なくとも、資金提供、地域の支持、言論上の協力、政治上の人脈、党を支えた社会層は分けて考える必要があります。

支援関係を分ける

一つの「スポンサー」という言葉では説明できない

直接の資金提供新聞、遊説、選挙準備、外遊などへ実際に資金を出した人
地域の支持基盤地方組織、集会、候補者を支えた地主・名望家・商工業者ら
言論上の協力新聞、雑誌、演説、出版を通じて政策や思想を伝えた人々
政治上の人脈同郷、旧官僚、学校、事業、友人関係による人的な結びつき
社会的な基盤地主、商人、農民、士族、知識人など、党の主張に関心を持った層

たとえば、奈良県吉野の山林経営者だった土倉庄三郎は、自由党系の新聞『日本立憲政党新聞』の最大の出資者となり、板垣退助の欧州視察も支援しました。この場合は、具体的な資金提供を確認できます。

一方、立憲改進党と三菱の関係は、慎重に見る必要があります。三菱の岩崎弥太郎は大隈重信や政府高官と人的な関係を持っていました。開拓使官有物払下げ事件の際には、政府側が大隈・福澤諭吉・三菱の連携を疑ったこともあります。

ただし、親しい関係や政策上の接点があったことと、一つの企業が政党全体を資金面で支配していたことは同じではありません。確認できる資金提供、人的関係、共通の政策関心を分けて記す必要があります。

新聞は政党の情報網だった

国会もラジオもテレビもない時代、政治家や活動家が考えを各地へ伝える主な手段は、新聞、雑誌、演説会、講演、出版でした。

新聞は出来事を報じるだけでなく、政策を説明し、支持者を集め、政府や他党を批判する政治活動の場でもありました。立憲改進党には尾崎行雄、矢野竜渓、沼間守一、島田三郎ら新聞・言論に関わる人々が加わっています。

立憲帝政党の発起人も、東京日日新聞の福地源一郎、明治日報の丸山作楽、東洋新報の水野寅次郎でした。明治初期の政党史は、新聞史や言論史と切り離して理解できません。

政府側の国家づくり|憲法調査から内閣制度へ

自由党や立憲改進党が活動を始めた時期、政府も憲法制定と国会開設の準備を進めていました。

1882年、伊藤博文は憲法制度を調査するためヨーロッパへ向かいました。伊藤はドイツの法学者ルドルフ・フォン・グナイストやアルベルト・モッセ、オーストリアの国家学者ローレンツ・フォン・シュタインらから学びます。

政府が参考にしたのは、君主の権限を比較的強く保ちながら議会を設けるドイツ・オーストリアの制度でした。議会多数派と内閣の結びつきを重視した大隈の構想とは、国家の設計が異なります。

同じ1882年には軍人勅諭が出され、軍人は天皇への忠節を重んじることが示されました。1885年には太政官制度に代わって内閣制度が始まり、伊藤博文が初代内閣総理大臣になります。

国会開設までの並行した動き
民権派・政党側
国会開設要求
↓
政党結成
↓
地方組織と政策要求の拡大
政府側
憲法調査
↓
軍と官僚制度の整備
↓
内閣制度・憲法・国会の準備

争点:立憲政治を行うか否かだけでなく、誰が制度を作り、天皇・内閣・議会をどう結ぶか

政府は、憲法や国会そのものに反対していたわけではありません。政府と民権派の争点は、立憲政治を行うか否かだけでなく、誰が制度設計を主導するのか、天皇・内閣・議会をどのような関係にするのか、政治参加をどこまで認めるのかという点にありました。

国会が開かれる1890年より5年早く内閣制度が作られたことにも意味があります。政府は、議会が始まる前に、国の政策を決定し行政を運営する中央の仕組みを整えていました。

松方デフレ|暮らしの問題が政治運動へ結びつく

自由民権運動が激しくなった背景には、政治制度をめぐる対立だけでなく、農村の経済危機がありました。

西南戦争の戦費をまかなうため、政府は多くの不換紙幣を発行しました。市場に出回る紙幣が増え、物価が上昇し、紙幣の価値が下がります。

1881年に大蔵卿となった松方正義は、政府支出を抑え、紙幣を整理する緊縮財政を進めました。1882年には日本銀行が開業し、通貨と金融制度を中央で管理する基盤が整えられます。

財政と通貨の信用を立て直す必要はありました。しかし、急速な緊縮財政は松方デフレを引き起こし、農村へ大きな負担を与えます。

経済が政治を動かす経路
西南戦争の戦費と不換紙幣の増発
↓
インフレと紙幣価値の低下
↓
松方財政歳出削減・増税・紙幣整理
↓
デフレと農産物価格の下落収入は減るが、税と借金の額は同じ
↓
返済猶予・長期年賦・減税・抵当地返還を要求
↓
困民党の組織と地域運動

困民党の「党」は、自由党や立憲改進党のような全国政党を意味するものではありません。借金に苦しむ農民が、返済条件の変更や減税を求めて地域ごとに作った組織です。

それでも困民党の活動は、暮らしの問題が政治と無関係ではないことを示しました。政府の財政政策、現金で納める地租、借金の取り立て、土地所有の変化がつながっていたからです。

政党史を中央の指導者と党名だけで追うと、この流れは見えません。地域の人々が何を求め、どの制度が生活へ影響したのかを見ることで、民権運動が各地で異なる形を取った理由を理解できます。

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