10|米騒動は、なぜ全国へ広がったのか
1918年の米騒動を、米が足りなくなったために起きた出来事だけで説明することはできません。
大戦景気による物価上昇、都市人口の増加、米の需要増加、投機と思惑買いが重なっていました。さらに、シベリア出兵で大量の軍用米が必要になるという予想が広がり、買い占めが進みます。
米価が上がる一方、賃金の上昇が物価に追いつかない家庭が多くありました。
米騒動は、大戦期の経済成長が生んだ社会的なひずみでした。景気拡大、戦争政策、投機、物価上昇を一つの流れとして見る必要があります。
国政選挙権を持たない女性たちが行動した
1918年7月下旬、富山県の沿岸地域などで、米価高騰に苦しむ人々が、米の県外移出停止と安売りを求めました。運動の初期には、漁師町の女性たちが大きな役割を果たします。
当時、女性には国政選挙権がありませんでした。しかし、選挙権がないことと、政治に関与しないことは同じではありません。
家庭で米を買い、日々の生活費を管理していた女性たちは、米価高騰の影響を直接受けました。生活を守るための要求が、全国的な社会運動の出発点になったのです。
| 日本政党史で政治を動かした主な人々 | 政治への関わり方 |
|---|---|
| 第1回・士族 | 政府を離れ、政治結社と建白書で国会開設を求める |
| 第3回・地方名望家、地主 | 制限選挙の有権者として衆議院議員を選ぶ |
| 第5回・都市民衆、社会主義者 | 新聞、集会、街頭運動、労働運動で政府へ要求する |
| 第6回・新聞、学者、労働者、女性、都市住民 | 思想、報道、生活要求、全国的な社会運動で内閣へ圧力を加える |
8月、新聞報道によって運動は都市、農村、鉱山へ広がりました。日比谷焼打事件と第一次護憲運動でも、新聞は政治情報と運動を全国へ広げる役割を担っています。大正期には、新聞と大衆政治の結びつきがさらに強まりました。
神戸では、大戦景気で急成長した大商社の鈴木商店が焼き打ちされます。物価上昇で利益を得ていると見られ、民衆の反感を集めました。ただし、米価高騰の原因を鈴木商店一社に求めることはできません。
米騒動の経過と地域ごとの広がりは、米騒動とは?民衆の怒りが政治を動かした瞬間で詳しく確認できます。
報道の自由も政治問題になった
寺内内閣は、米騒動に関する新聞報道を制限しました。報道によって運動がさらに広がることを警戒したためです。新聞側は、この統制を批判します。
そのなかで起きたのが白虹事件です。
『大阪朝日新聞』の記事に、中国の故事に由来する「白虹日を貫く」という表現が使われました。これが皇室への不敬を意味するのではないかと問題にされ、長谷川如是閑、大山郁夫らが退社します。二人は後に雑誌『我等』を創刊しました。
米騒動は、米価と家計の問題から全国的な民衆運動へ広がり、さらに報道の自由と政府批判をめぐる問題へ発展しました。
寺内内閣の退陣には、病気と米騒動の両方が関わった
米騒動と政府対応への批判によって、寺内内閣の求心力は低下しました。寺内はそれ以前から病気のため辞意を漏らしていましたが、米騒動が内閣へ与えた衝撃は大きく、1918年9月21日に退陣を決めます。
首相官邸の歴代内閣記録では、寺内内閣の在職期間は、原内閣が成立した9月29日までです。
| 日付 | 意味 |
|---|---|
| 1918年9月21日 | 寺内内閣が総辞職・退陣を決めた日 |
| 1918年9月29日 | 原内閣成立。首相官邸記録上の寺内内閣在職最終日 |
議会内の不信任だけでなく、選挙権を持たない人々を含む全国的な社会運動が、政権交代を促す政治的圧力になりました。この点に、米騒動の政治史上の重要性があります。
11|原敬内閣は、なぜ最初の本格的政党内閣と呼ばれるのか
1918年9月29日、立憲政友会総裁の原敬が首相となりました。
原は、現職の衆議院議員として初めて首相になった人物です。それまでの首相は、元老、藩閥政治家、軍人、貴族院議員などが中心でした。
原内閣では、外務、陸軍、海軍の3大臣を除く閣僚を政友会員が占めました。一つの政党と衆議院を主要な基盤としたため、最初の本格的政党内閣と評価されています。
「平民宰相」は、爵位を持たない首相という意味だった
原は平民宰相と呼ばれました。華族の爵位を持たず、衆議院議員として政治活動を続けたためです。
ただし、政治経験のない一般庶民が首相になったという意味ではありません。
原は新聞記者、外交官、外務次官、大阪毎日新聞社長、逓信大臣、内務大臣、政友会幹事長・総裁などを経験していました。政府、官僚、新聞、政党、地方組織を知る職業政治家です。
原の経歴と政治手法は、原敬とは?日本初の本格的政党内閣をつくった首相で詳しく読めます。
隈板内閣との違い
1898年の隈板内閣と、1918年の原敬内閣は、どちらも政党を基盤としました。ただし、組織のまとまりと内閣運営に違いがあります。
| 比較 | 1898年・隈板内閣 | 1918年・原敬内閣 |
|---|---|---|
| 政党基盤 | 憲政党 | 立憲政友会 |
| 組織の成り立ち | 旧自由党系と旧進歩党系が合同した直後 | 一つの政党として組織と議会運営を積み重ねていた |
| 閣僚 | 陸海軍大臣を除き憲政党員中心 | 外務・陸軍・海軍大臣を除き政友会員 |
| 結果 | 党内の人事対立により約4か月で崩壊 | 政党と衆議院を基盤に内閣運営を継続 |
| 政治史上の位置づけ | 最初の政党内閣 | 最初の本格的政党内閣 |
隈板内閣は、二つの異なる政党系譜が合同した直後の憲政党を基盤としました。原内閣は、1900年の結成以来、地方組織、衆議院議員、党本部を整えてきた立憲政友会を基盤としています。
この違いには、20年間にわたる政党組織と議会運営の蓄積が表れています。
元老は、なぜ原敬の組閣を受け入れたのか
元老の山県有朋らは、当初、政党内閣の成立へ慎重でした。後継首相には西園寺公望も検討されましたが、西園寺は辞退します。最終的に、政友会総裁の原敬へ組閣の大命が下りました。
この決定には、次の事情が重なっています。
元老が政党政治の理念を全面的に受け入れたと断定することはできません。政党、衆議院、世論を基盤とする政治家を首相にしなければ、安定した内閣運営が難しい状況になっていたのです。
原も、藩閥政治家と対立するだけではありませんでした。井上馨、山県有朋ら政府有力者と交渉し、協力できる政策では協力します。議席、人事、政策、地方組織を積み重ね、政府有力者からも組閣を任せられる位置を築きました。
原敬内閣成立の詳しい経過は、原敬内閣とは?米騒動の混乱から生まれた政党政治と民衆の声で確認できます。
政党は、政府へ要求する組織から政府を作る組織へ変わった
1913年には、元老、軍人、官僚が首相選定と内閣運営へ大きな力を持っていました。それから5年後、衆議院第一党の総裁が、一つの政党を主要な基盤とする内閣を組織します。
その変化は、一度の選挙だけで起きたのではありません。
政党は、政府へ国会開設と民権を要求する組織から、政府と協力して法律・予算を成立させる組織へ進み、1918年には自ら政府を組織する存在になりました。
同時に、政治を動かす人々の範囲も広がりました。元老、軍、官僚、政党だけでなく、新聞、学者、労働者、女性、都市住民が政治へ働きかけます。
その拡大が、選挙制度の外でも進んだ点が重要です。米騒動を担った人々の多くは投票できませんでした。それでも、生活に関わる要求と集団行動によって政府へ影響を与えました。だからこそ、次の時代には普通選挙が大きな政治課題になります。
現代への学び|選挙の外にある声を、代表制へどう結びつけるか
選挙は、国民が政治家を選び、議席と政権の正当性を決める重要な制度です。しかし1918年の日本では、選挙に参加できる人が限られていました。
投票できない女性、納税資格を満たさない男性、労働者、貧しい都市住民も、物価と政策の影響を受けます。制度の外に置かれた人々は、新聞、集会、請願、労働運動、地域での行動を通じて、自分たちの要求を示しました。
米騒動は、生活上の不満を放置すると、制度外から大きな政治的圧力が生じることを示しています。一方、運動が焼き打ちや暴力へ進んだ地域もありました。政治参加を広げる必要と、暴力によらず要求を政策へ結びつける仕組みの両方が必要です。
代表制を安定させるには、選挙を行うだけでなく、選挙権の範囲、報道の自由、議会での議論、生活上の要求を受け止める制度を整える必要があります。
1918年に本格的政党内閣が成立した後も、国政選挙権は納税額によって制限されていました。原自身も普通選挙の即時実施には慎重でした。元老は首相推薦へ関与し、貴族院と枢密院も残ります。軍部大臣現役武官制は緩和されましたが、廃止されたわけではありません。植民地統治とシベリア出兵も続いていました。
大正デモクラシーには、政治参加を広げる可能性と、選挙によらない権力・対外支配・制限選挙という限界が併存していたのです。
次回予告
次回は、1918年の原敬内閣成立から1924年の第二次護憲運動までを扱います。
本格的な政党内閣が成立しても、政党政治が直ちに定着したわけではありません。原敬暗殺後には政友会が分裂し、政党を直接の基盤としない内閣が続きます。
原敬内閣、高橋是清内閣、加藤友三郎内閣、山本権兵衛内閣、清浦奎吾内閣を経て、なぜ第二次護憲運動が起きたのかをたどります。
日本史と政党再編の二つの流れから読み直す
戦争、経済、社会運動を確かめる場合は「日本史の流れ」、政友会と憲政会の系譜を追う場合は「政党史の流れ」へ進んでください。
知りたい流れから選ぶ
参考資料・出典
- 「07|解説 第一次世界大戦と米騒動(1913-1918)」
- 「第6部|第一次世界大戦・大戦景気・米騒動」(問390〜問470)
国立国会図書館
- 第3章 大正デモクラシー|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
- 第1次世界大戦と日本|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
- シベリア出兵|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
- 米騒動|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
- 平民宰相|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
- 政治家・オピニオンリーダーと新聞・出版メディア|本の万華鏡「大正デモクラシーとメディア」(確認日:2026年10月6日)
- 天皇機関説問題|史料にみる日本の近代(確認日:2026年10月6日)
国立公文書館
- 対華21か条要求を中国に行う(確認日:2026年10月6日)
アジア歴史資料センター
- 社会科授業用資料リスト(確認日:2026年10月6日)
- アジア歴史資料ラーニング|年表(確認日:2026年10月6日)
首相官邸
日本銀行
- 日本貨幣史|貨幣博物館(確認日:2026年10月6日)

コメント