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修身とは?教科書からたどる、戦前の日本人が学んだ生き方

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修身とは、近代日本の学校で、人としての行い方や社会の中での務めを教えた科目です。ここで最初に押さえたいのは、修身は教育勅語をもとに新しく作られた科目ではないということです。修身の授業は教育勅語より前からあり、明治23年(1890年)に教育勅語が示されると、その後の修身教育を方向づける大きな基準になりました。

修身で教えられた内容も、最初から最後まで同じではありません。正直・勤勉・家族愛などの日常的な徳目が語られる一方、時代が戦争へ向かうにつれて、天皇や国家への奉仕を強く求める教材が増えていきました。この記事では、修身の始まり、教育勅語との関係、国定教科書の変化を順にたどります。

目次

まず押さえたい3つのポイント

  1. 修身は教育勅語より先に始まった
  2. 教育勅語は、1890年以後の修身教育の中心的な基準になった
  3. 1904年以後の国定修身教科書は五つの時期に分けられ、時代とともに重点が変化した
ひこまる

お師匠! 修身って、教育勅語を教えるために始まった科目なんですか?

やたまる

そこは順番が逆じゃ。修身の方が先にあり、教育勅語は後から修身教育の大きな基準になったんじゃよ。

1. 修身は何を教える科目だったのか|教育勅語より先に始まった

明治5年(1872年)の学制には、「修身口授」という科目が置かれました。教師が本をもとに、人として守るべき行いを説き聞かせる授業です。つまり、修身は明治23年(1890年)の教育勅語より先に、近代学校制度の出発期から存在していました。

ただし、初期の修身教育には、全国共通のはっきりした内容が最初から整っていたわけではありません。欧米の倫理書を翻訳した教材も使われ、その後、儒教的な徳目や日本の歴史を重視する方向へ見直されていきました。明治13年(1880年)に文部省が編纂した『小学修身訓』は、その変化を示す代表的な修身書の一つです。

2. 教育勅語との関係|修身を新設したのではなく、方向を定めた

明治23年(1890年)に教育勅語が示されると、孝行、友愛、夫婦の和、勤勉、学問、公益、法令の尊重、非常時の奉公などが、国民に求める徳目としてまとめられました。その後の修身教育では、これらの徳目を子どもに理解させることが重視されます。

したがって両者の関係は、「教育勅語をもとに修身が生まれた」というより、すでにあった修身が、教育勅語を中心に再編されていったと捉える方が正確です。教育勅語は授業の科目名ではなく、修身教育の理念と方向を示す役割を担いました。

3. 国定修身教科書はどう変わったのか|五つの時期

明治36年(1903年)、教科書の採用をめぐる贈収賄事件を背景に、小学校教科書は国定制度へ移りました。修身の国定教科書は明治37年(1904年)から使われ、一般に五つの時期に分けて整理されます。「5回作り替えられた」というより、五期の国定教科書があったと考えると分かりやすいでしょう。

時期修身教育の動き
明治初期修身が学校の科目として始まる。欧米の倫理書をもとにした教材も使われた
1890年以後教育勅語が修身教育の中心的な基準となる
1904年以後国定修身教科書が始まり、五つの時期を通して内容が改訂される
昭和の戦時期国家への奉仕や戦争に関わる教材の比重が大きくなる

初期の国定教科書にも天皇・国家に関わる内容はありましたが、正直、勤勉、倹約、友情、家族など、日常生活の徳目も多く扱われました。リンカーンやフランクリンなど、外国人の逸話が教材に使われた例もあります。

一方、昭和の戦時期には、軍人の忠節や戦死をたたえる話、国家への献身を求める記述が目立つようになります。修身は同じ名前の科目でありながら、社会情勢や国の政策に応じて、教材の重点を変えていったのです。

4. 教科書が示した「よい生き方」|日常の徳目と国家への務め

修身教科書には、著名な人物だけでなく、軍人や市井の人々の逸話も載せられました。日清戦争でラッパを口にしたまま戦死したと伝えられた木口小平や、潜水艇事故の際に職務を守った佐久間勉艇長などの話です。

ただし、教科書の物語は、出来事をそのまま記録した史料とは限りません。子どもに模範を示すために選ばれ、語り方も教育目的に沿って整えられています。たとえば木口小平の逸話には史実性をめぐる議論があるため、伝えられた物語と確認できる史実を分けて読む必要があります。

5. 修身をどう見るか|受け継げる徳目と検証すべき教育

家族を大切にすること、正直に生きること、よく学び働くこと。こうした徳目には、現代にも通じる部分があります。しかし、それらが天皇や国家への忠誠と一体化し、個人の命より国家への奉仕を優先するよう求められた点は、分けて考えなければなりません。

  • 資料として確認すること:教科書に何が書かれ、いつ、どのように変化したか
  • 立ち止まって考えること:その徳目が誰のために、どのような社会の中で教えられたか
  • 現代につなげること:受け継げる価値と、繰り返してはならない考え方を分けること
ひこまる

修身は、最初から最後まで同じ内容だったわけではないんですね。

やたまる

そうじゃ。日常の徳目もあれば、時代が進むにつれて国家への奉仕を強く求める教材も増えた。その変化を見ることが大切なんじゃよ。

6. まとめ|修身は一つの顔だけでは語れない

修身は、教育勅語をもとに新設された科目ではありません。修身の方が先に始まり、教育勅語は1890年以後、その内容を方向づける中心的な基準になりました。そして国定教科書の時代には、日常の徳目を教える面を残しながら、戦時期へ向かうにつれて国家への奉仕を強調する面を濃くしていきました。

修身を「昔のよい道徳」または「すべて軍国主義」と一言で片づけると、この変化は見えません。教科書の言葉を時代背景とともに読み、史実と教育上の物語を分けて考えることが、戦前の日本人が学んだ生き方を知る入口になります。

あわせて読みたい

教育勅語が作られた背景、十二の徳目、戦後の扱いについては、次の記事で詳しく紹介しています。

教育勅語とは?学校が天皇と国民を結びつけた仕組み

この記事は、修身教科書シリーズの入り口となる概要記事です。今後、教科書に登場する人物・出来事・思想を個別の記事で詳しくたどります。

参考資料・参考図書

  • 文部科学省「学制百年史」
  • 国立公文書館「教育ニ関スル勅語」
  • 北影雄幸『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』勉誠出版
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