MENU
記事を探す

『修身 尋常小学校教科書に学ぶ』徹底解説|道徳教育はどう戦時化したのか

目次
当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
第2ページ/全7ページ 第1・2章:修身の制度化と理想の日本人

第1章「修身の基礎知識」|道徳はどう全国共通になったのか

第1章は、修身の内容そのものより先に、教科がどのように制度化されたかを説明します。明治5年(1872)の学制、教育令とその改正、教育勅語、検定教科書、教科書疑獄事件、そして国定教科書制度へと話が進みます。

重要なのは、修身が教育勅語によって突然生まれたわけではないことです。修身に当たる教科は教育勅語以前からありました。1890年に教育勅語が示されると、それが国民道徳の基準として位置づけられ、後の修身教科書を強く方向づけました。さらに1903年の教科書疑獄事件後、1904年度から国定教科書制度が始まり、国が全国で教える内容を直接編集する仕組みが整います。

1872年
学制公布
1890年
教育勅語
1903年
教科書疑獄事件
1904年
国定修身教科書

本書は、国定化を「尊王愛国」を全国へ広げる転機として肯定的に説明します。歴史として見るなら、内容の統一は教育の標準化である一方、国家が望ましい国民像を一つに定めやすくなったことも見なければなりません。

本書には教育勅語の本文と児童向けの説明も載ります。孝行、友愛、勤勉、公益など身近な徳目が、皇室の祖先から受け継いだ国柄と結びつけて説明される点が重要です。修身という教科が先に存在し、教育勅語が後から中心的な基準となり、国定教科書がそれを全国の授業へ届けた――この順序を押さえると、制度と思想の関係が見えてきます。

第2章「理想の日本人」|誰が「よい人」を決めたのか

第2章では、教科書に繰り返し登場する「天皇陛下」「よい日本人」という言葉を手がかりに、修身教育が目指した人物像を整理します。父母への孝行、兄弟姉妹の友愛、勤勉、誠実などは、現在にも通じる徳目です。

しかし、理想像は普遍的ではありません。男子には強さ、兵役、社会と国家への奉仕を求め、女子には家庭を和やかにし、子どもを育てる役割を求めます。日中戦争期の教材では戦いを恐れない心や兵役の名誉が前面に出て、兵役を拒む人への厳しい言葉も現れます。

同じ「よい日本人」という言葉でも、時代によって中身は変わります。日常生活の誠実さを求めるだけなら幅広い生き方と両立しますが、戦時下では勇敢さや服従、命を捧げる覚悟までが理想像に加えられました。本章の核心は、徳目そのものの善悪より、国家と社会が何を「よい」と選び、子どもへどのような役割を割り当てたかにあります。

この章で分けたい二つ
  • 誠実、勤勉、家族を大切にするという徳目
  • その徳目を固定的な性別役割や国家への服従へ結びつける仕組み
1 2 3 4 5 6 7
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次